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Kenの日記
by Ken
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■アーリーン・オジェーのシューベルト歌曲
1991年モーツアルト没後200年のウィーンステファン教会におけるミサで「レクイエム」のソプラノを歌っていた「アーリーン・オジェー」のほかの演奏が聞きたくてCDを買おうと思っていたところ、かなり昔に買ったままになっていたシューベルト歌曲集の一枚がなんとオジェーの演奏でした。それはシューベルト「ゲーテの詩による歌曲集」でオジェー没後の1994年に発売されたCDです。(私の持っているのは同じ内容で6枚組みの中の一枚ですが)


録音は1978年の録音だとのことなのでオジェー39歳の歌です。このCDはオジェー没後に発売されたものなのでジャケットにはオジェーの晩年の写真(といってもオジェーは53歳で亡くなっていますが)が使われていて少し違和感を感じます。録音の声はこのジャケットの写真の印象とは大分違って若々しいものです。身体に余分な脂肪がそれついていない時代で響きが純粋で澄んでいると思えます。

録音されいる歌の詳細な中身を勉強したわけではないのですが、IPODに入れて何回か聞き、歌の題名・歌詞を少し調べてみると、この選曲と録音は尋常なものではないものだと思い至りました。このCDはゲーテの詩にシューベルトが旋律をつけた以下の曲で出構成されています。

1.糸を紡ぐグレートヒェン(D.118)
2.グレートヒェンの祈り(D.564)
3.クレールヒェンの歌「愛」(D.210)
4.ミニョンの歌「ただ憧れを知る者だけが」(D.481)
5.ミニョン「私に言わせないで」(D.726)
6.ミニョン「大人になるまでこのままに」(D.727)
7.ミニョン「君よ知るや南の国」(D.321)
8.野ばら (D.257)
9.ミニョンの歌「私に言わせないで」(D.877−2)
10.ミニョンの歌「大人になるまでこのままに」(D.877.3)
11.ミニョンの歌「ただあこがれを知る者だけが」(D.877.4)
12.恋する女の手紙(D.673)
13.ズライカ1(D.720)
14.ズライカ2(D.717)

「グレートヒェン」は「ファウスト」に登場する少女で、ファウストに見初められ裏切られて不幸になって死ぬ可愛そうな女性です。「クレールヒェン」はやはりゲーテ作の「エグモント」の中で、エグモント侯爵の恋人で、エグモントの処刑に絶望して自殺するというやはり不遇な女性。「ミニヨン」は「ウイルヘルム・マイスター」でウイルヘルムに裏切られ不幸のうちに死ぬ可愛そうなサーカスの少女。「ズライカ」はゲーテと交換詩集を交わしたゲーテの恋人の「呼び名」です。

この歌集は、男性のゲーテが描いた女性の心情に、シューベルトが美しい旋律を付け、女性のアーリーン・オジェーが歌っているのです。どの歌もオジェーが気持ちを込めて歌っています。あまりにも深刻なので胸が詰まりそうになります。中間に「幕間の休憩」のような「野ばら」を挟んでいます。「野ばら」で少し安らぐのですが、直ぐにまた厳しい歌が始まるのです。ゲートの作品では主人公が勝手に町娘に恋をして、結局その女性を不幸にしてしまう描写が多く用いられているようです。オジェーの歌は「よくもこんなに可愛そうな女性を登場させたわね」という訴えているような感じがします。

オジェーの声はなんと美しく上品なのでしょう。低音から高音までそして弱音から強音まで統一感ある響きを聞かせてくれます。そして非常に純粋でケレン味のないストレートな歌です。しかしそれにも増して引き込まれるのは、オジェーが「詩の意味」を的確に表現していることだと思います。それは何の純粋に「少女」の気持ちを自分にダブらせているかのようです。これはゲーテが素晴らしいのか、シューベルトが偉大なのか、オジェーがすごいのか。

オジェーは1986年のイギリス王室アンドリュー王子の結婚式でモーツアルト(Exsultate Jubilate)を歌い、1991年のモーツアルト没後200年ミサの際にレクイエムを歌いました。そうしたセレモニアルな場所に選ばれたのは、オジェーが持つ歌の品格とともに、非常に知的で洗練された歌の表現力によるものだと思われます。
06月12日(木)
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