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Kenの日記
by Ken
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■「毛沢東」の話題
最近中国関連の情報の中に「毛沢東」に関するものが増えています。今日もSCMP(South China Morning Post)では、昔から「毛沢東」に似ていると苛められてきた女性が、それを逆手に取って「物真似」を始めて大変受けているという記事が掲載されていました。

汚職などの罪で終身刑を受けた「薄熙来」は大連・重慶など彼がトップを勤めた地で毛沢東を讃える歌を推奨したと言う話もありました。「薄熙来」は失脚はしましたが、その行政手腕と指導力は現中国政府指導部の人達と比べても優れていたようで、彼は近頃の中国社会に潜んでいる人々の不満を敏感に感じ取っていたのだと思います。現政権指導部が恐れるのも分かる気がします。

毛沢東の最大の失敗は「文化大革命」(1966年〜1977年)を起こして中国社会を混乱の極に陥れたことだと思います。毛沢東の権力奪回闘争と位置づけられている「文化大革命」ですが、一方では官僚制打破とか都市に住む富裕者の富を強制的に取り上げるというような暴力的な社会変革の意味を持っていたことは否定できません。共産党一党支配の統治構造の中には官僚制・貧富の差を是正するための有効な仕組みはありませんから、官僚制・貧富の差の発生を危惧する人にとっては「暴力的な永久革命」は必然的な帰結であったと考えるべきでしょう。

昔の中国の社会においては「社会の安定(体制の維持)」のための随分荒っぽい仕組みが組み込まれていたのだと思います。支配層に食い込み不可欠な存在であった「宦官」は、自らの子孫を持つことを拒絶させられるという厳しい制度です。現在の中国高官の中に汚職が蔓延るのも「子孫に財産を残
す」ことがひとつの理由になっていることを考えると「宦官」の存在はひとつの知恵だったのだと思います。中国王朝に付き物のの非常に恐ろしい「刑罰」は悪事に対する牽制作用を最大限にするために考え出されたのだと思います。ノーベル文学賞を貰った莫言の小説「白檀の刑」ではとんでもない刑罰を詳細に記述していました。

文化大革命後に「改革・解放路線」を採った「トウ小平」は経済発展の青写真は書いても、共産党独裁体制に潜む「汚職撲滅・貧困格差拡大」に対する防止装置を準備はしなかったようです。「毛沢東回帰」の風潮やテロ行為の発生は中国の人々が「荒っぽい方法」に頼るほか無いと考えているからだと思います。残念ながら中国社会には「言論の自由」とか「三権分立」とか「選挙制度」とかという「暴力に訴える社会変革」に変わる過去の人々の知恵の産物は組み込まれいません。社会矛盾を暴力で解決するという中国3000年の歴史はこれからも繰り返されるのでしょうか。
11月21日(木)
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