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Kenの日記
by Ken
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■エルトゥールル号展

11月19日まで原宿にあるトルコ大使館で行われている「エルトゥールル号展」を見てきました。日本とトルコの関係は2020年オリンピック開催地競争で最後まで争ったり、原発売り込み・ボスポラス海峡海底トンネル開通式のために安倍首相が異例の同一年2回目の訪問をしたりして話題が豊富です。そうしたトルコブームの流れだと思うのですが、1890年に日本訪問の帰りに和歌山県串本沖で遭難して船員500名以上が犠牲者となったエルトールル号の遺品などの展覧会が開かれたのでした。
エルトゥールル号は明治天皇名代小松宮夫妻のオスマン帝国訪問の返礼使として日本派遣が決定され、1889年7月イスタンブールを出向し1890年6月に横浜に到着しました。日本で明治天皇謁見等の目的を果たして9月15日に横浜を出港したところ台風に遭遇して9月16日に和歌山県串本沖で遭難したのでした。しかしエルトクールル号の日本への航海は最初からかなり問題をはらんでいたようです。
記録によるとスエズ運河を通過するのに2ヶ月要していますが、これはその間に2回座礁し船の修理が必要となったことが原因でした。シンガポールでは4ヶ月以上滞在することとなりましたが、これは近隣に住むイスラム教徒の大歓迎があったのがひとつの要因でしたが、悪天候で待機せざるを得なかったり、石炭の調達手続きに手間取ってしまったこともあるようです。
当時オスマン帝国はイスラム国家の盟主的な存在だったようです。メッカ・メジナから遠く離れた地に住むイスラム教徒にとってオスマン帝国の「エルトゥールル」はイスラム教国家の力の象徴でもあったようです。エルトゥールル号日本派遣はイスラム圏の事情も含んでいたようです。
シンガポール出向後も東シナ海での航海では風向きに関係で石炭を大量に消費してしまいサイゴンで石炭を積み込む必要が生じてしまったのでした。更に日本では寄港翌月の7月に日本で発生したコレラが船員にも感染し思わぬ期間の足止めを食ってしまったようです。そして台風シーズンの真っ只中での出港となってしまったのでした。
遭難事件を知った和歌山の串本の人達はエルトゥールル号船員の救助に全力であたって69名の船員の命を救いました。更に遺品・遺体の引揚げはその後も続けられたようです。救助された生存者たちは翌年日本の軍艦によって故国に帰ることができました。トルコの国民はエルトゥールル号遭難に際して日本国民が手を差し伸べてくれたことを心に刻み、いまでも親日感情豊かなようです。
昔の日本人のこのような行いは子孫達への貴重なプレゼントであると思います。東日本大震災で世界各地から寄せられた励ましは決して忘れずに度あるごとに感謝していかなくてはならないと思いますし、現代の人々はチャンスがあったら世界中の誰かに救援の手をさしのべるべきだと思いました。
11月03日(日)
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