ID:85567
Kenの日記
by Ken
[99186hit]
■従軍慰安婦強制連行問題(河野談話)について
ようやく全体の構図のような物が見えてきたので、私の意見を合わせてポイントを記録しておきたいと思います。
今回の騒動は戦後の日韓関係の長い積み重ねでもあるのですが、具体的には日韓関係の「棘」にような従軍慰安婦問題を精算しようと試みた1997年8月4日の「河野談話」の捕らえ方が発端でした。
「河野談話」における従軍慰安婦強制連行に関する実際の記載は、「慰安婦の募集にあたり本人の意に反した募集が行われた例があり、官憲等がこれに加担したこともあった」という表現をしていて、慰安婦「募集」段階において「強制連行」があり、それに関しての国(官憲等)の関与もあったと認めているものです。
本日5月30日の産経新聞報道によると、「当時の宮沢喜一内閣は、韓国側を満足させるため「強制」を認めたかった」という当時の関係者の証言を記載しています。
これに対して2007年の第一次安倍内閣は、議会への答弁書において(2007年3月16日)「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった。」という見解を正式に公表しました。その一方で「河野談話」そのものについては継承するとしていました。昨年(2012年)暮れに首相に就任した安倍首相(第二次安倍内閣)は、第一次内閣の時の課題を改めて取り上げるかのように「河野談話」を見直す方向であるという姿勢を示したのでした。
ここで中国との「尖閣列島領有問題」を思い起こしてみたいと思います。日中国交正常化交渉において「尖閣問題を棚上げして後世に託す」という妥協を図って国交回復に漕ぎ着けたのでした。しかしこの「棚上げ」に関して日本政府(外務省)の認識がしっかりしていなかったことから、石原東京都知事(日本維新の会共同代表)の「尖閣買い上げ提案」に引きずられ、終に尖閣列島を国有化してしまいました。この措置に対する中国の反応は非常に激しいものであって、日中関係はこれまでにないほど冷え切ってしまったのでした。
実は第二次安倍政権の発足当初の様子では「日韓関係」も大変危なかったと思われます。「従軍慰安婦強制連行問題」について就任早々の安倍首相は「河野談話見直し」の考えをちらつかせて過去の歴史問題を清算しようと考えていたと思われます。日本維新の会共同代表の橋下大阪市長が、尖閣問題の時の石原さんの「尖閣東京都購入」みたいに、「従軍慰安婦強制連行問題」において安倍首相を援護射撃したのでした。
この時点で政府が「橋下さん良く言ってくれた」と「尖閣国有化」のように橋下市長の意見に同調していれば、日韓関係は今の日中関係のようになっていたことしょう。機を見て敏な安倍首相は韓国・米国の凄まじい拒否反応を見るや直ぐに矛を収めて、「橋下市長」を見殺しにして「河野談話堅持」の姿勢に転換したのだと思われます。
しかし石原都知事に乗せられた「尖閣問題」で日中関係は冷え込み、「橋下市長」を犠牲にした従軍慰安婦問題においても、結局韓国から「白黒」を迫られてしまった日本政府は「ムニャムニャ」で逃げるしか手段がないため、韓国から言われ放題の状態になってしまっていました。
私は個人的には、辛亥革命を成し遂げた孫文を始めとする革命家を多くの日本人が支援したこと、朝鮮近代化を目指した「金玉均」等を福沢諭吉・須永元等が支援したという「歴史」を関係国で理解しあうことは有益であると思っています。特に孫文・金玉均の二人の英雄に対して、日本の民間の一部の人が熱烈に支援した一方で、明治政府は非常に冷淡に扱い、日本国全体としては結局「中国侵略・韓国併合」に突き進んでしまったことです。
この辺りの歴史をキチンと理解することによって、何が良くて何が悪かったのか、「日本人の忘れてしまった大切もの」を再発見できるのではないかと考えています。
05月30日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る