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Kenの日記
by Ken
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■孫文が医者として活動した場所(マカオ)
1892年に香港の西医書院を卒業した孫文は、マカオにある1871年創立の「鏡湖医院」で西洋式医療を施す医者として活動を開始しました。当時澳門は阿片戦争後の香港の英国への割譲に準じる形で、ポルトガルが中国から統治権を獲得していました(植民地ではない)。従って孫文は医療を続けながら革命運動の準備をすることができたのだと思います。

孫文は1894年にはハワイに渡って民主革命団体「興中会」を結成し、1895年に最初の武装蜂起の「広州起義」を策動しました。その後辛亥革命に至るまで清朝打倒の革命運動に従事し、その後も「建国」へむけての活動に専念していきます。従って1892年からの数年間は澳門において医者と革命家の二つの顔をもっていたのだと思います。

「鏡湖医院」はマカオ博物館の北側にあってマカオでも有数の大きな病院となっています。孫文はそこに勤める傍ら自らの医院と薬局を別な場所に開設しました。その薬局のあった建物は最近になって漸く場所が特定されたらしく、澳門文化庁が調査・修復を始めています。



近い将来「孫文」が開設した薬局跡として観光名所のひとつとなるのだと思います。その場所は孫文の活動時期を考えるとその医院や薬局は医療行為や薬販売だけに使われたとは考えにくく、革命活動の準備拠点であったのではないかと思われます。

また丁度この時期香港の医療事情で特筆すべき事態が発生しています。それは1894年に流行した香港のペストです。この疫病で香港・澳門で多くの人が亡くなりました。孫文がこの疫病にどう対応したのか資料がありませんが日本から派遣された北里柴三郎が香港で世界で始めてペスト菌を発見しました。
05月09日(木)
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