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Kenの日記
by Ken
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■母の葬儀
昨日母が午後1時32分(実際には12時17分ですが)に亡くなりました。火葬は死亡時刻から24時間以降でないと行なえないことになっています。子供のことを考えてというかタイミングが良くて浦和斎場の午後3時からの火葬の枠が開いていたので、その枠を使うこととしてそれに間に合うように葬儀をすることとしました。
武蔵浦和駅近くの「はるか」という葬儀屋さんが「家族葬」に「力」を入れていたので、介護施設からも家からも近いのでそこで「家族葬」を行なうこととしました。つまり身内だけが集まって亡き「母親」にお別れをして火葬するというものです。お世話になっている寺と墓は長野県にあるので、今日の葬式ではお寺さんも呼ばず、お寺さんに戒名だとか弔いの経だとかは納骨の時に一括でお願いすることとしました。(その時にすんなり進むかどうか分かりませんが)
今日の葬儀は1時頃から「納棺士」の方に来ていただき、家族の見守る中で母の最期の化粧・見繕いをしてもらい、納棺して2時過ぎにには浦和斎場に向かい、火葬後は浦和斎場から武蔵浦和の「木曽路」に場所を移して出席者で会食をするという段取りでした。
「納棺士」の方の化粧で母は大変若々しく変身しました。もともと色白でシミソバカスの少ない母の顔は化粧の効果もあって、とても88歳には見えません。棺桶に移されて周りを様々な色の花で飾られた母はまさしく葬儀の主役でした。長いお経を聞くのも葬式らしくて悪くないでしょうが、納棺士さんの技を見ながらタップリ故人と過ごすのも、とても貴重な経験だと思いました。これだけ故人を主役にした葬式を執り行うと、斎場での火葬直前の悲しみも軽減されたと思います。
火葬を待つ間の葬祭場でのアルコールと、会食場でのアルコールの量は半端なものではありませんでした。男兄弟は勿論、妻・娘も酒豪ですから、店の人が驚くほどのペースでアルコールは消えていきました。フンダンに酒が飲めるように武蔵浦和駅付近で会食をすることとし、移動手段は全てタクシーと「木曽路」のマイクロバスにしたのでした。家族の酒の強さは母親の系統が影響していることが明らかなので、母親は文句をいうことができないのです。
11月21日(水)
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