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Kenの日記
by Ken
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■介護について
母の最期を看取り葬儀を済ませて改めて介護とか最期の看取りについて振り返ってみました。

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我が家の場合、母がまだ十分に活動できることができた当初は自宅で同居介護を開始したのでした。広くないマンションにおいて親を介護するため、北側の母用の部屋を二重窓に変えて寒さ対策を施し、近くにもうひとつ小さなマンションを買って母が同居した後の子供達の住まいも確保しました。母のためにベッド、部屋置きの簡易トイレ、移動用の車椅子も準備しました。これらの装備で暫くの間同居生活が続きました。母は一人で外出をしましたが、通院等の介添えが必要な場合には妻が付添いました。

しばらくしてから、母は外で転倒して大腿骨骨頭骨折し、近くの病院の約一ヶ月入院しました。動かない生活が続いたことによって、以前に較べると格段に運動量が減って寝たきりの状態に近くなってしまいました。この段階で介護度は「順調」に上がっていきました。トイレ対策として尿道管による排尿を開始したのですがこれが大変なこととなりました。母用にボタンを押せば音楽で知らせてくれる装置を母の枕元に置いたのですが、排尿袋に尿が溜まると深夜・朝方でも音楽が鳴ることとなりました。

その度に妻と交代で起きて尿をトイレに流す処理をすることとなりました。要介護の認定を受けていたので週に何回かデイサービスは受けていましたが、朝夕の食事を自宅で食べる度に母親を抱え起こすこととなった妻は腰を痛めてしまいました。この段階で母親は「要介護4」の状態になっていました。次第に老衰が進んで行く母親の世話をこのまま妻に任せて自宅介護を進めることは不可能と判断しました。

世の中には金銭的な事情その他で自宅介護を続けている方が沢山いらっしゃるとは思います。私のところは大変恵まれているのだと考えながらも、老衰した親の介護をどこまで子供達が面倒を見るのか、子供達の間での作業分担はどうあるべきか、また故郷を離れての介護は親にとっては非常に寂しいものであるというように、現実は多くの問題を抱えているのだと感じました。

自宅付近で民間の介護施設を幾つか実際に訪問してみました。さいたま市には既に多くの介護施設ができていることを改めて知ることとなりました。そして満員の施設が多いことも知りました。運良く自宅から歩いて行ける距離にある介護施設「武蔵浦和まどか」にお世話になることができました。そこは家から歩いて行けるし行く途中に大きな生協のスーパーがあるので何かと便利であるように思われました。

介護施設に入居するときには、おぼろげですが「母の最期」の時にはどうなるのか想定していました。その当時は母は病院に入院して最期は病院にお世話になることになるのだろうと漠然と考えていました。というのも何かの病気でなくなることが普通なのだろうと勝手に想像していたのだと思います。

一月に今年88歳となった母の体調は衰えが目立ってきました。実は前年12月に老衰が進んだ症状となっり掛かりつけの病院で薬の量を変更してもらったのでした。その甲斐があって元気を取り戻したのですが、パーキンソン病の症状は次第に強くなって身体の柔軟性は大分失われ、腕や手の振るえは激しくなり、嚥下能力の低下に対応して流動食に切り替えられました。「自分で食べることが出来ない」「流動食を口に入れてもらっても嚥下に時間がかかる」という状況が続いて食欲がなくなってきたのだと思います。また水の嚥下にも苦労することから「脱水症状」が激しくなり、10月末には救急車で病院に入院しました。

介護施設の判断でこの頃には誤飲を避けるために水にも「とろみ」が付けられる状況となっていました。これは介護施設の判断として仕方がないことだと思われました。水を肺に吸い込んでしまって呼吸困難に陥ったり肺炎になってしまっては施設の責任になってしまいます。一人の担当者で多くの老人の世話をする介護施設では入居者の安全を第一に考えて一定の処置をすることとなり、入居者各個人の個別事情への対応は最小限にならざるを得ません。自宅で家族が介護している場合なら、食事、水分の摂取をもう少し丁寧にできたかもしれませんが、この段階になって自宅に引き取ることも現実的ではなくなっていました。


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11月22日(木)
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