ID:85567
Kenの日記
by Ken
[99190hit]

■母亡くなる
今日通常通りの通勤列車に乗り、通常通りの通勤経路で横浜駅から神奈川新町の会社に向かい、会社の入り口近くにに達したころ、少し気になったので携帯電話の着信記録をチェックしたところ、妻からの着信記録がありました。急いで折り返した所、介護施設から母の呼吸が弱くなっていて危ないという連絡が入ったという用件でした。急いで会社に行き、とりあえず今日はこのまま家に戻ることにして、母にもしものことがあったら今週は休むことになる旨を伝えました。

横浜駅経由の湘南新宿線を使って埼玉に向かいました。武蔵浦和について介護施設に急行した妻と連絡をとってから、今日は外での活動が長くなりそうなので家で服を着替えてから介護施設に向かいました。

母は呼吸が浅くなっていて酸素吸入をしていました。妻と二人で母のベッドの近くで見守り、時々酸素吸入器を外して母の口に水を含ませました。覚醒はしていないのですが、口に水を含ませると4〜5回飲み込みました。口の中が乾いていることに加えて胃も水を欲しているようでした。母が何度か水を飲んだので少し安心したので、妻に昼飯の弁当を買ってきてもらうことにしました。妻が出て行った暫くすると急に母の呼吸間隔が長くなりました。いっしょに面倒を見てきた妻にも母の最期を見届けて欲しいと思い、妻に電話をかけてできるだけ早く戻ってくるように伝えました。

妻は母の息があるうちに施設に戻ってきました。その後母の呼吸はどんどん弱くなり、呼吸の間隔が長くなりました。ともすると1〜2分呼吸しないでもうだめかと見ているとまた呼吸を始めるということが何度か続き、ついに12時17分の呼吸を最後に次の呼吸をすることがなくなりました。良く最後の息を吸って亡くなるという話を利きますが、母は普通通りに呼吸を吐いた後に吸わなくなりました。施設の看護婦さんに連絡して脈を診てもらいました既に心臓は止まっていました。施設の担当医の先生が着てもらうまで亡くなった母の直ぐ横で妻と二人で昼食を食べました。なんだか非常に時間がゆっくり進む感じがしました。施設の担当医の先生に駆けつけてくれて正式に母の死亡を1時32分に確認してくれました。

母の顔は非常に穏やかでした。私には母は呼吸ができなくなって酸素不足によって亡くなったように思えます。少し苦しそうな顔をする時もありましたが、何人かの医師の話では最後の酸欠状態の時には殆ど意識がなくなり苦しさも感じないものだとのことです。死んで行く人に確かめたわけではないでしょうから本当かどうかは分かりません。とにかく母の状態は前進の老衰・衰弱が次第に進んで、正しく動物がその最期を自然に迎えるようになくなっていったように思えます。それは受精後の受精卵が細胞分裂を繰り返す中でどんどん高等な動物になっていくのと反対に、生命維持に必要な細胞から一番離れた部分から活動を停止していって、その最期の段階で心臓が停止したと思われるような状況です。

その後、前から相談していた武蔵浦和駅近くの葬儀社に連絡をして葬儀の手はずを整えました。通夜を行わない簡易な葬儀をすることとし、家族だけの葬儀を21日の12時から執り行うこととしました。
11月20日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る