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Kenの日記
by Ken
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■新宿「平和祈念展示資料館」
久しぶりに新宿に出ました。目的は西新宿の「平和祈念展示資料館」を見ること、ついでに新宿で昼飯を食べること。新宿西口の大手パソコンショップでハードディスクを見ること(買うこと)です。
まず昼食ですが結果的に「中村屋」のインドカレーを食べました。最初に狙ったレストランは新宿三丁目のフランス料理「クレッソニエール」というレストラン。ここは以前前を通ったときにものすごい列ができていた店です。今日も行ってみたのですが、12時10分という一番混みそうな時間帯が拙かったらしく、店の周りに長蛇の列ができていました。この次はここの看板メニューらしい1000円のランチをぜひ食べてみたいと思います。
フランス料理はあきらめて新宿定番の中村屋で食べることにしました。中村屋本店は今装中でとなりのタカノの6階の「なだまん」のあった場所で仮営業しているのです。中村屋ではいつもはインドカレーを食べるのですが、今日はもうひとつ名物のボルシチを食べて見たかったのです。結果的にこれも当て外れ。臨時営業中の中村屋レストランでは「ボルシチ」はお休みとのことでした。店の人に聞いてみると、お客様からの要望が強いため来月からボルシチをメニューに入れるとのこと。本店ビル立替に2年半かかるという話なのでしばらく不便な営業が続くようです。
「平和祈念展示資料館」は西新宿の住友ビル48Fにあります。それほど広いスペースではないのですがそれなりの興味深い展示を行っています。私の興味のきっかけは「太平洋戦争終了直後の樺太からの引き上げ」でした。昭和20年8月22日に樺太の大泊を出た海底通信ケーブル敷設船の「小笠原丸」は、大勢の引揚げ者(とくに女性・子供)を乗せたまま留萌沖の海域で国籍不明(たぶんソ連)の潜水艦に撃沈されたのでした。これは同じ日に他にも2隻の引揚げ者輸送船が攻撃にあったことから「3船殉難事件」と呼ばれています。
「平和祈念展示資料館」では、「戦後強制抑留」「海外からの引き上げ」に焦点をあてて資料を展示しています。もうひとつのポイントは「兵士のコーナー」ということで臨時召集令状(赤紙)に関する展示なのですが、こちらは「恩給欠格者」の問題を扱っているとはいうものの、もうひとつ展示の意図がはっきりしていないと思いました。
「戦後強制抑留」ですが私の父も満州で終戦を向かえてソ連に抑留され「タシケント」の強制収容所にいました。父は生きている頃にその当時の話を殆ど話しませんでした。こちらもあまり興味がなかったので聞かなかったこともあるのでしょうが、言いたくない話だったのだと思います。また終戦直後の日本人の海外占領地移住先としては「満州国」に圧倒的に多くの日本人が行っていた(百万人以上)のですが、その人達がソ連の参戦によって日本に帰ることとなって大変な苦労をされたのでした。昨年夏に大連・旅順を訪問したこともあり、嘗ての満州国のことの知らなかった部分を少しづつ勉強しています。
満州からの引揚げでは「藤原てい」さんが「流れる星は生きている」で当時の涙なくして読めないような情景を冷静な筆致で描いています。たぶん同じような体験を100万を超える日本人の方が経験されたのだと思います。樺太からの引揚げでもそうですが、外地で暮らす家庭においては父親を戦争に取られ、母親と幼い子供が着の身着のままで長い道程を逃げなければならなかったことが非常に悲惨な結果となりました。
その背景を考えると、まず武装解除された日本兵がそのままソ連内地に抑留されてしまったこと。日本本土に家族を残していた兵士も大変だったと思いますが、満州で徴兵された兵士とその家族の大変さは想像を絶します。残された家族は父親の無事を祈りつつ、長い道程を日本に向かう連絡船の出発地まで逃げなくてはならなかったのです。この場合も満州・樺太方面はソ連が停戦を守らずに攻撃し続けたことが大きな被害を生んだと言えます。このような過去をきちんと理解した上で、ロシアと付き合っていくことが必要なのだと痛感します。
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01月29日(日)
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