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Kenの日記
by Ken
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■横浜中華街と孫文の誕生日
今日は少し寒かったのですが、午後から休暇を取って横浜の中華街を散策しました。本来「孫文−100年先を見た男」という映画を見てから、横浜中華街の孫文に纏わる場所を回ろうと思っていたのですが、東京・関東の映画上映が終了してしまったので、横浜中華街だけを散策しました。
まず、JR石川町から横浜中華街に入り、入口近くの横浜中華学院(横浜市中区山下町142番)に行きました。ここは孫文が設立に関わった学校です。しかし孫文は「戊戌政変」に破れて日本に亡命した「康有為・梁啓超」派に主導権を譲ったのでした。しかし学校の校庭には孫文の胸像が建てられています。私が訪れた時刻が丁度下校時であり、門に警備の方がいたので頼んで胴像を見せてもらいました。全く偶然でチェックを忘れていたのですが、11月12日は孫文の誕生日でした。胴像の前には華僑の方達が花輪を飾っていました。孫文は1866年生まれです。
次に探した場所は「横浜市中区山下町121番」の温丙臣宅です。現在では当時の建物が残っているはずもないのですが、番地を目指して探しました。孫文はその場所にあった温丙臣のレンガ造り西洋館の2階に長らく住んでいたのでした。地図を頼りに狭い住宅街の中、中華街山下町公園の少し南に「山下町121番地」を見つけました。古い民家が密集する地域です。しかし温丙臣宅の「121番地」というのは本当は「外国人居留地121番地」で、それが現在の山下町121番地と同じであるかどうか。これはもう少し調査が必要です。
同じ問題は次の「横浜市中区山下町53番」で現実のものとなりました。「外国人居留地53番地」には孫文が1895年に最初に来日した際に滞在した「馮鏡如」が経営していた「キングセル商会(文経印刷所)」がありました。予めグーグルマップで現在の山下町53番地を検索しておいたのですが、その場所は中華街のほぼ中心の場所で、中華料理店がひしめく繁華街でした。その辺りを散策して見ましたが住居表示も見当たらず、それらしき場所を探しあてる事はできませんでした。
家に帰ってからインターネットで調べて以下のような記事を見つけました。それは「馮鏡如」のお孫さんの「馮瑞玉」さんが横浜華僑会で挨拶された話です。
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当時馮鏡如は、横浜外国人居留地53番地、現在の「かながわドームシアター駐車場」付近で、印刷・出版業のキングセル商会を経営しておりました。中国名は文経印刷所といいます。父からは、「1895年11月に、孫文、陳少白、鄭士良が広州起義に失敗し、横浜に亡命した際、キングセル商会に滞在し、その2階の部屋で横浜與中会が結成され、馮鏡如は会長に選ばれ、革命を支援した」と聞いております。
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この「かながわドームシアター」という仮設劇場は今はなく、現在「横浜山下町地区第一種市街地再開発事業」が進められていて、住所は横浜市中区山下町280番となっています。その場所は再開発に際して発掘が行われ、嘗ての「横浜外国人居留地の遺構」が数多く掘り出されているとのことです。再開発が完成すると、そこには神奈川県民ホールに隣接する「神奈川芸術劇場」(2011年)ができるとのこと。
神奈川県の発掘調査報告書によると、その再開発地域には旧外国人居留地の48番地、54番地、55番地が含まれています。そこにはそれぞれ「モリソン商会」「イリス商会」「コッキング商会」が建っていたということです。キングセル商会は53番地ですから、この一角にあったに違いありません。
かつての外国人居留地は関東大震災で殆ど破壊されてしまいました。そして中華街が発展する一方で、その他の外国人居留地はどんどん再開発が進められているようです。中華料理も非常に魅力的ですが、中国の国父「孫文」の名残を少しでも残して欲しいと思います。
11月13日(金)
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