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Kenの日記
by Ken
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■小石川探訪
今日土曜日は会社オフィスのカーペット清掃日なので午前中出勤して椅子をどけたり、普段掃除をしないような場所を少し綺麗にしてきました。清掃は午前中だけだったので、午後会社近辺の散策して帰ってきました。地下鉄後楽園駅の少し北にあるオフィスは本郷の高台と小石川の高台の間の谷底のような場所にあります。これまで本郷側の「菊坂」を中心とした東側は何回か散歩したので、今日は基本的に西側を散策してみることとしました。順路は以下の通りで、白山通りから小石川の高台に登って川越街道富坂を下って地下鉄後楽園駅に帰ってきました。

1.白山通沿いの「樋口一葉の終焉の地」
2.柳町仲通り商店街
3.善光寺坂
4.伝通院
5.川越街道(国道254)
6.東京都戦没者霊苑

本郷・小石川には「樋口一葉」が度々住んだ場所があり、なかでも「菊坂」の昔の面影を残した長屋群は非常に趣があります。広い白山通りに面した「終焉の地」の日は紳士服店の軒先で嘗ての雰囲気は全くありません。一葉の住んでいた家は台風による崖崩れで破壊されてしまったそうですが、この辺りの白山通りの東側は崖がせまっています。今は下のような記念碑があるだけです。色々な場所に引越して、生活に苦労しながら素晴らしい文学作品を残した「一葉」ですが亡くなったのは24歳の若さでした。



白山通りを渡って庶民的な「柳町仲通り商店街」を抜けて善光寺坂に向かいました。坂の途中に善光寺という寺があることからこの名前が付いています。善光寺の少し西側の路の真ん中に大きな「椋の木」があります。路はこの木を避けるように続いています。この「椋の木」の少し北側に「幸田露伴」の家があったそうです。非常に静かな住宅街でこういうところに住んだらさぞ気持ちがよいだろうなと思わせる場所です。坂を上りきると「伝通院」です。徳川家康の生母の「於大の方」の墓があります。他にも立派なお墓が沢山ありました。伝通院から参道を南下すると川越街道にぶつかります。そこを左折すると富坂です。



富坂の南側には中央大学理工学部がありますが、まだ犯人が捕まっていない教授殺人事件があったばかりなので非常に警戒が厳しいです。坂を下っていくと礫石川公園ですが、その間に東京都戦没者霊苑があります。丁度東京大空襲のあった3月10日も近いので見学して見ました。外の記念霊苑も建物内の展示室も私の外に誰もいないので非常にひっそりとそしてじっくりと見学する事ができました。丁度満州国皇帝「溥儀」の「我が半生」を読んでいるところで満州事変にことが頭を離れないこの頃なので非常に色々考えることがありました。この場所には嘗て陸軍工科学校があったとのことです。水戸徳川家の藩邸に明治5年フランス陸軍のルボン大尉が伝諸工集所を開設したことが始まりのようです。水戸藩の後楽園は目と鼻の先の所にあります。明治の時代から富国強兵を図り戦争に突入し大きな痛手を受けて敗戦。そして今の繁栄があるのですが、まだ世界には武力でしか解決できない問題が山積しています。そういう社会の大きな「ウネリ」の中に各個人の人生があり、それを取り巻く家族があるという現実は忘れてはいけないと思いました。
03月07日(土)
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