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Kenの日記
by Ken
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■白酒 皖國春秋


白酒の皖國春秋の情報を記しておきます。「皖國」というのは今の中国の安徽省のことを指します。この白酒の瓶の首には紐が何重にも巻かれています。瓶の正面には二人の人物が描かれていて、「酒」を蓄えているように見えます。そしてその酒瓶にも「紐のようなものが巻かれている」ように見えます。これは何か「謂れ」があるものなか調べて見ました。

下に翻訳ページで訳した文章をそのまま記載しますが、この「皖國春秋」という酒の謂れは以下の通りのようです。

○周の文王は「皖」(人或いは地名)という「家来」に土地を与え、以来この地域は「皖」と呼ばれるようになった。

○春秋時代には非常に平和に栄え、酒醸造技術が発達した。

○楚がこの地域を統一しようとしようとした時期に大きな戦乱に巻き込まれた。青年男子は戦場に征き、国には女子供老人だけが残された。「錦」という仲の良い夫婦も、夫を戦場に送り出さなければならなかった。

○「錦」婦人は夫のいない間毎日酒作りを続け、酒瓶に麻紐を巻いて年数を数えながら夫の帰りを待ち続けた。

○「皖」軍の形勢が悪く、錦婦人は長く消息のない夫を探して、麻縄が何重にも巻かれた自分作った酒を持って戦場に向かった。

○錦婦人はある戦場で、自分の酒を神にささげて夫の無事を祈った。すると大地が割けて大きな雷鳴がとどろき、ロケットのようなものが現れて敵を滅ぼしてしまった。

○「錦」夫婦は無事に「皖」の地に戻り、以来麻縄を巻いた容器に酒を蓄えることが平和のシンボルとなった。

(以下直訳です)

安徽、“皖”を略称する。元朝の初めの年にいて、中国は最初で彊が省みることを画することを封じて、安慶を省くことを造って、すぐまっすぐに“皖”と呼ぶ。周時、安徽土地の境界は皖の国として、山は皖の山と称して、水為の皖の水、安徽は皖を略称して、即の源于のこれ。

《古今の図書集は成功する.に基づく山河の典は》記載して、周文王は建国していて初期に安徽土地の境界に皖の伯に与えたことを封じて、それ以後の皖の伯の領地はすぐ“皖”商号によって皖の国と称する。皖の伯在の皖国政の績は非常によくて、皖の山(現在の天柱山)南ふもとには皖の伯廟があって、皖の地は皖の伯のためそれで名をあげる天下、後世を伝えることを受ける。我が国が最も早い長編叙事詩《孔雀南東は飛ぶ》の談はすぐ皖国境が含ませることが発生する。

春秋時期、皖の国は個理想の国家です。向こうは雲霧のからみついた皖の山が、青い波が渦巻く皖の水、向こうは丹精した豊かな人々を止めている。彼らは江林を採取して、錦織は耕作して、醸造する笙に合わせた歌。

皖の地は醸造して流行して、それで皖の人の酒造の技はこだわる。一夫の婦が和錦を倒して作った酒を醸造して、色は臭った甘を潤して、ぐっすり濃い悠遠、皖国遠の近いことに有名です、無人は及ぶことができる。彼らは酒造に依って生とする、幸福の生活を過ぎている。

但し、斎楚の制覇の紛はかえってこちらの穏やかな平和を打破したことを戦って、皖国也はどうしても他族の侵略を防御する。そこで少壮の青年は出征して砂原を戦う、ただ婦人と子供老人俗人故郷が身内の立ち返ることを望むことを守ることを残して、錦夫婦が同様にどうしても涙を振るって辞去することを倒す。

錦は依然として毎日醸造して、夫の立ち返ることを待る。毎回夫を思って、錦はすぐ酒の瓮によじれてちょっと麻縄を囲んで、生活はちょっと毎日過ぎ去って、密密麻縄の無数の酒の瓮が錦を公示して夫の倒れた無盡に懐かしむことをまとった。錦は夫が早く平安に飲んだ出来るだけ預けていることの限りのない情意の酒に立ち返ると期待していて、彼女は毎日の懐は覚めると期待することを着てかえって失望が眠って行くことを枕にしている。

数カ月は過ぎ去って、前線は継続的に敗戦凶報を伝えて来て、苛立って控える錦は倒れる音消息が全然なくて、懐は気がもめた心を着て、帯上にいっぱいの麻縄の酒の瓮をまとって、遠い距離の形容の尋夫。


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11月20日(木)
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