ID:85567
Kenの日記
by Ken
[99114hit]

■「魔笛」プラハ国立劇場オペラ

(左は終了後の舞台挨拶の模様、右は川口駅で列車を待つ劇場関係者)


「魔笛」を見てきました。演奏はプラハ国立劇場オペラ。場所は川口駅前のリリアホール。土曜日の夜6時からの開演でした。プラハ国立歌劇場オペラは今回の来日公演で「フィガロの結婚」と「魔笛」を持ってきました。魔笛は1月3日の大阪フェスティバルホールをかわきりに、1月21日の盛岡公演まで10回、「フィガロ」は4日の琵琶湖ホールから20日の文化会館まで5階演奏されます。

プラハ国立劇場オペラは非常に伝統のある劇場だそうです。モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」の初演も行われているのです。創立は1783年。フランスにおいては1789年の革命前夜の時代です。ヨーロッパはフランス革命以降共和制が成立し、何回かの旧主派の巻き返しを経て、民族自治の時代に進んでいきますが、チェコスロバキアが民族自立し共和国となったのは1920年でした。フランス革命以降1920年まではドイツ(オーストリア)支配下にあったのでした。従って創立当初はドイツ文化の影響が強く、当然ですがモーツアルトのオペラの上演も盛んだったようです。その後はロマン派の民族主義作曲家の影響が強くなります。チェコというとドボルザーク、スメタナ、ヤナーチェック等のそうそうたる作曲家を生みましたが、それは19世紀から20世紀前半の話。20世紀後半は共産主義の時代でした。従って、プラハ国立劇場はフランス革命前の絶対王政化の文化を継承しているといっていいと思います。

今回の公演の感想は二つに分けて記録しておきたいと思います。ひとつは演奏自体について、もうひとつは演出・雰囲気・伝統といったものです。

まず、後の「演出・雰囲気・伝統」に関する感想。最初は奇異に感じたのですが、最期の方になって明確に感じたのはオペラ全体の「モーツアルト」へのこだわりです。

舞台は大きなセットが殆どなく、天井から吊るした大きな幕が時には山になったり、場面転換の際の幕代わりになったり、劇場の幕は最期まで出番がありませんでした。出演者の服装は正直言って時代考証など一切無用のもの。パパゲーノ・パパゲーナは東洋風の「どてら」を来て不思議なメイクをしているし、「ザラストラ」サイドの人間はスーツで決めている。夜の女王軍団はおもいっきりおどろおどろしい。タミーノは最初は疲れたサラリーマン風のコートを着ているし脈絡は一切なし。しかしその中に、宮廷官吏みたいなキチンとして制服を着て「白いかつら」を被った人物が印象的に出て来るのでした。彼には「役」は与えられていません。しかし彼はタミーノに代わって「魔笛」を舞台の上で演奏しました。それも非常な名演です。音の統一感・安定した技術はただものではありません。彼は「魔笛」を舞台に登場させ、最期にタミーノから「魔笛」を返してもらい舞台から消えました。

つまり、登場人物・セット・小道具など脈絡の全くない中で、「魔笛」の演奏者だけが宮廷服に身を包んだ芸術家だったのです。そうです。彼が「モーツアルト」その人なのです。モーツアルトが「魔笛」を通じて舞台を回し、時代・様式はいかに変化しようが、音楽は「普遍」と言うメッセージを伝えているのでしょう。プラハ国立劇場がかつて「モーツアルト」と非常に近かったことを自負するかのような演出です。

実際モーツアルトはプラハを1987年に二回訪問し、国立劇場でオペラを指揮し、有名な交響曲ニ長調の初演(プラハと呼ばれるようになった)も行っているのです。この時モーツアルトは31歳。プラハのモーツアルトファンはモーツアルトは非常に暖かく向かえ、モーツアルトも非常に幸せであったようです。その結果でしょうが傑作の「ドン・ジョバンニ」がプラハで初演されたのでした。その後の経済的困窮を考えると、このプラハ時代のモーツアルトは本当に最期の幸せな時代ではなかったか。プラハの人達にはそうした思いが受け継がれているような気がしてなりません。



[5]続きを読む

01月12日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る