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Kenの日記
by Ken
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■アバード・ムローヴァのブラームス
ビクトリア・ムローヴァは指揮者の「クラウディオ・アッバード」とウィーンで4年間暮らしていたことがある。「それは私にとって特別な時間でした。息子のミーシャが生まれました」ムローヴァは静かに語り始めた。以前に、私がベルリンフィルの日本ツアーでアッバードとムローヴァのブラームスのヴァイオリン協奏曲のライブ録音について聞いた時には彼女は嬉しそうに語ったことがありました。「それ(音盤にすること)はクラウディオのアイデアでした。テレビ番組へのライブ収録が行われるコンサートということで私は緊張していましたが、演奏が始まると良い演奏をすることができました。クラウディオは「今日の演奏は、過去に一度あったかどうかの意味ある演奏だった。これを記録に残すことにしよう」といって関係者の契約上の障害をすべて自分でクリアしたのでした。」
サントリーホールに現われた「ムローヴァ」は痩せていて、とても1才の赤ちゃんを育てているような様子はありません。上記の記事からすると、前年の1991年妊娠7ヶ月で、ムローヴァはアッバードの家を離れています。1992年1月の日本演奏旅行はいつから決まっていたことなのか不明ですが、分かれたアッバードとの協奏曲を演奏するのはムローヴァにとってあまりにも「酷」な話だと思います。二人は殆ど目線を合わせないし、演奏終了後に喝采を浴びる様子は非常に殺風景な感じがします。
アッバードがその日の演奏を「記録」に残そうと提案したのはどういう意味があったのか。実際この日の演奏は後1995年に「アカデミー賞」を受賞します。客観的に聞くと非常に冷徹で、感情に流されない厳しいものがあると思います。この演奏で、アッバードは、ムローヴァは、そして事情を知っているベルリンフィルメンバーは何を考えながら演奏したのか。皆「プロ」ですから、そんな特殊な環境下でも演奏しなければならない。ムローバはそれ以降アッバードとの関係はきっぱり断ち切っているようです。
非常に辛く悲しい裏話です。音楽界において一時代を築いたアッバードの音楽にはどこか違和感を感じてきました。そのひとつの理由としては「暖かさに欠ける」というものであると思われます。(尚、今日現在ミーシャのfacebookではアッバードの訃報に一切触れていません)
01月24日(金)
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