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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■アーチー・シェップ69年の『Black Gipsy』・IAIレーベル3種・現代音楽の11人・ヤンガルバレクに出会おう
音楽には不意打ちのように出会う。
たぶんそのように音楽はひとの耳に忍び込むのだと思う。

まあ、ゆうべもね、NHKラジオで浪曲を聴いて、はやくもその味わい加減に耳定めなんぞをする、ことまで、しちゃってます。
朝になると、子ども番組で狂言の野村萬斎が(!)朗々と声と身振りを描いていて、彼、ホンモノだね。
これを見ていると、21世紀の子どもたちはほんとうに期待できると思う。

音楽には不意打ちのように出会う。
・・・いや、出会おう!、これが鉄則だ。

ゆうべ、出かけたジャズ喫茶では、アーチー・シェップの69年の作品『Black Gipsy / Archie Shepp with Chicago Beau』
Archie Shepp (ts) Sonny Murray (ds) Clifford Thornton (tp) Chicago Beauchamp (vocals)
Julio Finn ( harmonica) Noah Howard (as) Leroy Jenkins (viola) Dave Burrell (piano) Earl Freeman (b)
が、かかった。
まるで火を吹くような、黒人の?エネルギーが、暴徒と化したかのようなジャズ、だった。スイングなんて生易しいものではなく、痙攣と罵倒と叫びがうねりをあげていた。

客は8人くらい、ふたりのオッサン、たぶん50代、が、酔いにまかせて“踊って!”いるし。たぶん学生運動していた、いい世代だー。
ぼくもスピーカーの音にあてられてボーッとして聴き呆けてしまっていた。
その刹那。
「ぐわおっ!」とマスターがカウンターの中で吠えたのだ。
あまりに音楽に同化したタイミングで怒声が聴こえたものだから、スピーカーの音がどこかから聴こえたのか?という反応になってしまった。
店内をびっくりして見上げるぼくに、マスターは舌を出すような表情で合図をした。

帰りしな、マスターは嬉しそうに言った。「ぼくが若い頃は、こういうのがジャズだったんだよ」

たとえば、平井玄の著書『引き裂かれた声―もうひとつの20世紀音楽史』(>1・25日記参照)で読むところの、
アメリカの公民権運動にあったところのジャズ、を、実感させるドキュメント盤だと思う。
そして、こういう音楽の果実(と言っていいのか?)との遭遇には、やはり不意打ちのようであるのがいい。

数年前なら、いまさらアーチーシェップかよー、とか、思っていたような気がする。


菊地雅章、ゲイリー・ピーコック、ポール・モチアンによるピアノトリオ“テザート・ムーン”の新譜『エクスピリエンシング・トスカ』がかかる。

ミュージックマガジンのレビュー、は、土佐有明さん。
「やはりジャズってのは感情をぐるんぐるんと揺さぶってナンボのもんだろう、とこれを聴くと思う。」
「レコ屋のジャズのコーナーでは相変わらずピアノ・トリオが売れ線らしい。最近は焼肉屋に入ったらビル・エヴァンスが流れてきたりもする。でも、たまにはこういうのを大音量で浴びよう。こういう、聴き流せない、とことんつきあわずにいられないヤツをさ。」
マガジンらしい、ジャズ専門誌的じゃないこういう書き方の突出はリスナーが増えそうでいい。
ビル・エヴァンスがかわいそう、ではあるし、ビル・エバンスはハーモニーにしか聴きどころを感じないし、そもそも嫌いだし、で、菊池雅章自身も「おれ、やっぱビル・エヴァンス、って、ダメなんだよ、体に入ってこないんだよ」と取材できいたとき、あ、いいんだ、それでも、と、思ったし。

この“トスカ”をギルやマイルスが聴いたらどう思うだろう、と、CDジャーナルでレビューした村井康司さん。行間から読み取れるところ、ぼくなりに聴いたところの「旋律はいただいた、どっぷりと耽溺するオレたちの老境を聴け!」と迫っている演奏なのだ。そして、それ以上であるのか、それに過ぎないものであるのか、は、聴き手に委ねられている、と、思う。


ジャズ喫茶から帰って、耳のコンディションが良かったので、こないだ入手したフリージャズのCDを3枚聴く。

ポール・ブレイというピアニストについて(1・13日記に少し書いたけど)。
たとえば、ジャズのピアニストを聴くのに、キース・ジャレット→ポール・ブレイ、菊地雅章、という感覚のステップ(段階)があるように思う。

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01月29日(木)
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