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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■『Universal Syncopation / Miroslav Vitous』(ECM 1863)はジャズではない
午前2時50分の町屋斎場を過ごす。

深夜、車で、京島、向島、白鬚橋、泪橋、と、通って。
火葬場と葬儀会場がセットになった町屋斎場のような施設では、通夜の夜はろうそくと線香は消さなくてはならないしくみになっている。
昔なら、通夜といえば夜通し家族や親せき、近所のおばちゃんおじちゃんが線香を絶やさずにいたのだけれど。
だから町屋斎場は、毎晩10人のご遺体だけが明日の火葬を待ってひっそりと通夜を過ごしているのである。

そこで過ごすのは、なんと言うか、精神の無音状態が得られるので、葬儀屋に勤務して以来、ことあるごとに訪れる。

時おり、あまりにリアルな霊体が歩いているので、背中にいる霊が強くないひとはあまり行かないように。

いまだ、カミュのことばが残響する。

「真に豊かな〈音楽〉、われわれを感動させ、またわれわれが本当に味わうことができる唯一の音楽とは、どんな理性や分析も追放する〈夢〉の〈音楽〉であるだろう」――アルベール・カミュ

ましてや、理性もたりなく分析能力もないひとは、書いてはいけないのでしょうが、ねえ、カミュさま。
だけども。音楽を聴いて何かを書くことを、届かない無謀なラブレターとして、必死になって書くことを、やめたくはない。
だからカミュさま、おねがい。


ユニバーサル・シンコペーション/ミロスラフ・ヴィトウス
『Universal Syncopation / Miroslav Vitous』(ECM 1863) 2003
Jan Garbarek : soprano and tenor saxophones / Chick Corea : piano / John McLaughlin : guitar / Miroslav Vitous : double-bass / Jack DeJohnette : drums

ヤン・ガルバレクの演奏10点。そのほかは採点不能。

それがぼくの結論だ。ぼくのジャズ耳の身体感覚で言えば、ウイントン・マルサリスの90年代以降の作品と並んでいるような作品だ。

ガルバレクのサックスが奏でている内容は、情緒に堕せず、高揚する旋律を抑制する(飼い慣らす)相反する力と力の緊張感が、どの微細な音のはじっこにまで行き渡っていて、ガルバレクのパートだけを取り出しても独立した作品としてまったく鑑賞に値するものとなっている。

しかし、このアンサンブルとしての演奏総体を、ぼくはさっぱりわからなかった。だから「ガルバレクはすごいけど、なんかよくわからない」としか言えなかった。あとからきくと、「ディジョネット、チック、ブラス・アンサンブル、マクラフリン、ガルバレク、の順にそれぞれ別に録音して、あとでビトウスがアルバムに編集したしたもの」だというではないか。おれ、そういうのジャズだとは思わない。そういうふうに録音する必然がある音楽、ポピュラー音楽とか映画音楽とか、は、当然アリなのだけど。

悪いけど、これはジャズの音楽として、ぼくは認めない。考え方が古いと言われようが、いくら聴いても感応しないものを、認めるわけにはいかない。このメンバーでここ10年ちゃんとジャズやっているひといる?ガルバレクの現ユニットはCDで聴く限り、ジャズじゃないし。
このCDに対してSJ誌のレヴューで村井康司さんは「ぼくにとっては、デジョネットが軽快に叩いていればECMのイメージなんだ」というような書き方をしていたけども、さすがにうまい指摘だと思った。ディジョネットが叩いてさえいれば、そこ相応のジャズになってはしまうんだ。

これは架空の音楽だったのだ。録音の経緯を聞いて、ぼくは「へー、そうなんだー」とだけ答えた。

たとえばエヴァン・パーカーのエレクトロアコースティックアンサンブルがスティーブ・レイクによって編集されて出てくる、というのはオッケーなわけ。だけど、これはリアルタイムの演奏というのを偽装しているわけでしょう?
・・・ふううむ。今夜の4回目を聴いているけど、やっぱり感想の変更はないです。


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01月30日(金)
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