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えすぱっ子
by ひかる。
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■選手紹介 1983年度組
 ちなみにJrユースでの基本布陣は、こんな感じ。

−−−−−−石川−−城内−−−−−−

−−−−森山−−−−− 杉山拓 −−−

−−−−−−深澤− 杉山浩 −−−−−

−−大石−−永田−−菊地−−古橋−−

−−−−−−−−大滝−−−−−−−−

 杉山浩太・杉山拓也・菊地直哉が2年生。
 永田充・古橋勇希・石川貴洋(・尾鷲優)は静岡学園、大滝与志晴・城内佑太は静岡北、大石哲也は清水工業に進んでいる。

 昇格後の布陣は、こちら(高3、高2、高1)


--- 清水昇格 ---
▼浅山 郷史 1983.04.25生 [182cm/74kg] GK 「サトシ」「アサヤマ」
  ヤマトFC(大和市引地台中)→清水エスパルスユース(静岡北高)
  二種登録・U-18日本代表・静岡国体少年選抜(01年)

 01年度ユースの不動の守護神。トップ指導陣の全会一致で、昇格が決まったという。
 2年生で既に、怪我明けの3年生・鶴田(清水→甲府)からポジションをほぼ奪取。しかし、安定度が高いとは言えず、大量失点を喫することも多かった。しかし、3年生では名実共に守備陣のリーダーとして成長、静岡選抜でも、磐田ユースの浅井、静学の海野らを押し退け、正GKに君臨する。急造チームながら4試合2失点という高い安定感で、優勝に貢献し、そのままU-18日本代表候補にも選ばれた。

 試合を見て、まず気づくのが積極的なコーチングであろう。特に攻守の切替時には、中盤の選手にまで細かくポジションを修正し、またユースでは最終ラインのコントロールを指揮しているのも、GKである彼であった。常に闘志を失わない「心の強さ」は、既にキャンプでもフッカコーチに賞賛されたが、集中力が高く、ミドルシュートに対する反応の良さは大きな特長。足技・スローイングともに正確で、球出しの判断が速く、自ら入団会見で「ファンの皆さんに見てもらいたい」と語っているほどである。
 課題は、飛び出しの判断の遅さで、周囲を上手く動かして解決を図るが、スルーパスに対しても、クロスに対しても、本人の守備範囲は狭い。そのため混戦には弱さを見せる。黒河・山本といった代表級GKの狭間にあたり、安定した「止める」技術に加え、「確保する」技術も身につけ、対抗していきたい。
 03年1月、著しい寮規定に対して数度の厳重注意にも関わらず改善が見られなかったとして解雇、現在は静岡FCに所属している。


▼深澤 良輔 1983.06.29生 [178cm/66kg] ボランチ・トップ下・左右MF 「リョウスケ」
  清水FC/高部SSS(清水市高部小)→清水Jエスパルスジュニアユース(清水市第六中)
  →清水エスパルスユース(静岡学園高)
  二種登録・静岡国体少年選抜(01年)U-17日本選抜・U-17NT・静岡国体少年選抜(00年)

 顔が小さく、細身の長身で、モデルのような体型の選手。メニコンカップMVP男(エスパルス三代目)。
 高部小→清水第六中は、市川や永田と同じ出身。小学生ではFWとして大石哲也と2トップを組み、よみうりランドでは優秀選手にも輝いた。Jrユースでも主将として超中学級の活躍を見せ、クラブ選手権では4連覇に失敗し、準優勝に終わったものの、冬の高円宮杯には成長した菊地・杉山ら2年生や、静学サッカー部に進んだ永田・尾鷲・古橋・石川らと共に優勝、夏の屈辱を晴らしている。
 しかし、高校では伸び悩む。1年生では左MFという慣れないポジションに最後まで馴染めず、高2からは本来の中央に戻る。しかし、その年こそ隼人のキープ力とチームの破壊的な攻撃力で顕在化せずにいたが、高3の年には守備の課題を露呈、最終的には浩太に司令塔の座を譲っている。

 昇格が少なかった学年で、クラブの期待を一身に背負った司令塔。視野が広く、正確なボールを蹴れるというだけではなく、味方の動きを正しく察知して、「合わせる」能力が飛び抜けている。逆サイドで走る選手に、後方から斜めに繰り出すロングフィードは、実に美しい。清水は、FKで直接狙う選手が多いが、深澤は動く味方に確実に合わせることができる。余裕のある状況では、強烈な輝きを放つ「貴族系ボランチ」。

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04月02日(土)
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