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えすぱっ子
by ひかる。
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■選手紹介 1982年度組
 ちなみにJrユースでの基本布陣は、こんな感じ。

−−−−−高木−−山口−−−−−

−−−桜田−−−−−−大内−−−

−−−−−鈴木−−塩澤−−−−−

−村松−−藤田−−佐野−−渡辺−

−−−−−−−神戸−−−−−−−

 藤田直己・山口健が清水商、渡辺哲也が市立船橋、桜田和樹が静岡学園、大内真が静岡北、神戸佑介が清水東、そして佐野裕也は昇格はしたものの、3年生時に在学していた清水商へ「移籍」している。

 昇格後の布陣は、こちら(高3、高2、高1)


▼村松 潤 1982.04.10 [170cm/60kg] 左SB・左MF・ボランチ 「ジュン」
  静岡FC/中田SSS(静岡市中田小)→清水Jrユース→清水ユース(静岡学園)
  U-16日本代表(98年)
  趣味:買い物、漫画「東京トライブ2」

 82年組カルテットのトップエリート。類い希なるサッカーセンスを持つレフティ。ユース時代から多くの黄色い声援を受けた、正統派ジャニーズ系でもある(笑)。
 Jrユースから不動の左SBで、U-16代表でも絶対の存在。彼の負傷離脱が、史上最強を謳われた98年U-16代表が、早期敗退する要因にもなった。ユースでも1年時より左SBで活躍し、2年では完全に主力に。しかし、高3では新任のゼムノビッチ監督により、佐野裕也の移籍などで直面した最終ライン危機への対処を任されCBを兼任、新境地に挑戦する。体の入れ方に職人芸を見せ、長身選手にも仕事をさせず、予てより指摘されてきたフィジカルコンタクトを嫌う消極性から脱却。一方で、よりプレスの厳しい中央に位置しながらも、機を見た攻め上がりは健在、プレーの幅を大きく広げた。

 攻守両面における柔軟性は、最大の特長。撓やかに相手の前に入ってスクリーニングする、競り合いでのポジショニングの良さは、堅実な守備から機を見た攻撃参加という、村松の基調を形成している。センス溢れるテクニシャンで、左足のキックは豊富な球種を宿す。中でも、小さな振りながら素晴らしい伸びを見せるアーリークロスは、正確無比。アウトサイドキックやシザースフェイントを混ぜ合わせたトリッキーなドリブル突破からの、センタリングや流し込むようなシュートも得意としている。
 また、自ら突破するだけでなく、ビルドアップの創造性も高い。多彩なキックが活きるのは、後方からも試合を創れる視野と展開力があるからこそ。CBや中央でのプレーを積んだことで、前線への飛び出しが意図を持ち、鋭さを増した。ショートレンジでも、絶妙なコンビネーションプレーが光る。
 冷静に考えられたプレーをする選手だが、多用な判断を求められる役割・状況だと、バランスを重視して考え過ぎてしまい、結果として無難で弱気な選択になってしまう。悪いことばかりではないが、一つ一つの判断の速度は上げる必要はあるだろう。プレー面でも、調和の取れた能力を持つが、強引に自分で決めてしまう武器はない。フィジカル的には弱い選手だが、左SBということを考えれば、まずはスペースを駆け上がる思い切った展開と、それを可能にするスピードは身につけたいところだろう。


▼鈴木 隼人 1982.05.13 [177cm/67kg] ボランチ・トップ下 「ハヤト」
  静岡FC/麻機SSS(附属静岡小)→清水Jrユース(附属静岡中)→清水ユース(静岡学園)
  静岡国体少年選抜(00年)U-16日本代表(98年)
  趣味:犬の散歩、ラジコン

 00年度ユース主将。メニコンカップMVP男(エスパルス二代目)。
 Jrユース時代は、切れ味鋭利なドリブラーとして名前を知られていた。高1では出場機会は限定的だったが、翌年、行徳監督が導入したシステムは、MF4人を攻守で役割分担をせずに、フラットラインで並べるもの。この時は、強健な守備をする吉崎と組んだこともあって攻撃偏重の向きも強かったが、最後の年にゼムノビッチ氏が監督に就任すると、アルゼンチン遠征ではCBの経験も積み、攻守両面で試合に大きな支配を及ぼすセントラルMFとして大成した。中でも、途中交代で3点差を引っ繰り返したJユース杯横浜戦の衝撃は大きく、ヒーローインタビューを受けるアップの顔がJスカイスポーツで放映、全国デビューを果たした(笑)。

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04月02日(金)
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