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えすぱっ子
by ひかる。
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■選手紹介 1985年度組
クイックネスに力強さを兼ね揃えた、重心の低いドリブル突破を得意とする選手。低身だが、ハイボールの競り合いにも強い。テクニックにキレのあるタイプではないが、精神的に強靱で常にゴールを狙う意識を忘れない選手であり、泥臭く粘り強くボールを運んでシュートを放つ。素材の良さは感じるが、パスコースを絞るプレスとか、オートマティズムとか、スペースを作る動きなど、組織的戦術の理解に苦しんでいた。
▼田淵 将天 1985.05.21生 [174cm/64kg] CB・FW 「タブチ」
新潟市白新中→清水ユース (静岡学園高) →帝京大学
将天は「マサタカ」と読む。新潟出身で、ユースからエスパルスに加入。1年目は殆ど出場機会がなかったが、2年目はDF登録ながらFWや右MFの攻撃的な役割で、しばしば機会を得た。だが、逆に3年生では、潜在能力を開花する可能性に上回る下級生に、出番を譲ることになった。スピードに恵まれ、ダイナミックなプレースタイルの持ち主。
▼高柳 亮太 1985.06.27生 [178cm/68kg] CB 「リョウタ」
清水FC→清水Jrユース (清水市第三中) →清水ユース (清水東高)
クラブ選手権 (U-15) で6年連続決勝進出の記録を潰えさせてしまった行徳監督が、崩壊寸前の守備陣にスイーパーとして抜擢した選手。あまりに古典的な戦術は批判も浴びたが、高柳自身は相手の攻撃を読む力、最適なポジショニングで、低身の左右CB (篠田・小林) を見事にカバー、頭角を現した。ユースでは1つ上の高山・渡邊が健在でベンチを温め続けたが、高3になって漸く出場機会を掴むと、一気にDFリーダーとして欠かせない存在になった。受験勉強のためか、一時期チームから離れたが、合格報道後に復帰。不在の間、平均2失点のチームを、決勝トーナメント3試合1失点にまで立て直した。
前任者の渡邊も知性を感じさせる選手であったが、高柳はそれ以上に危機感覚が正確で、故に慎重。高いラインを基本としながらも、カバーを常に考慮して、容易に裏を取られることはない。ここぞという時には、確実なアンティシペーション (インターセプト) を狙うが、後方に位置してして、正確なフィードで組み立てるのを常にしている。サイズもあるため、空中戦に不安はない。
1対1の応対では、ディレイして外に追い出すDFの基本を従順に守るが、運動能力に恵まれた選手ではないので、定石を無視してまで挑んでくる相手には、後手を踏むことが多く、特にスピード勝負に脆い。冷静な判断は、劣勢の場面では消極性に変わり、ズルズルと下がったり、プレスに慌ててフィードを乱すことがある。考えてプレーするタイプなので、集中力を欠いたりすると、途端に判断が遅くて、ミスが多いだけの選手になってしまう。
名門清水東高に在学する文武両道の選手だが、卒業後は東京学芸大学生涯学習課程生涯スポーツ専攻に、特別選抜での推薦入学が決まっている。
▼篠田 大輔 1985.07.26生 [168cm/58kg] 左SB 「シノ」
清水FC→清水Jrユース (清水市第八中) →清水ユース (静岡学園高)
静岡高1選抜 (01年) U-14NT・静岡中3選抜 (00年)
上背はないが、ポジショニングと守備技術の基本に長けた俊足レフティ。エスパニョールの下部組織に引き抜かれていった弟の悠輔は、余りにも有名。Jrユースでは、左CBとして高円宮杯優勝メンバーに名を連ねたが、本職は左SB。1年目は交代出場に留まったが、森山が卒業した2年目には、定位置を確保するかと思われた。だが、クラブ選手権途中で森安にポジションを奪われ、以後も一歩先んじられた格好になり、苦渋の1年となってしまった。高3の現在、森安が右に回ることで改めて先発を掴んだが、秋以降は育成を考えて、高野美らに出番を譲ることも多く、復帰した弟・悠輔とのコラボレーションは、僅か122分で終わってしまった。
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04月02日(火)
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