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えすぱっ子
by ひかる。
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■選手紹介 1987年度組
  榛原FC/細江FC (細江小) →清水JY (榛原中) →清水Y (静岡学園高)
  静岡高1選抜 (03年) 、静岡中3選抜 (02年)

 小学生時代は榛原FCのエースFWで、10番。Jrユース当初のさなるカップでもFW登録されているが、Jrユースでは基本的に石垣と中央で組んで最終ラインを担ってきた。昇格後は左SBを主戦場とし、Jユースカップの予選後半戦からポジションを得て、2年生でも右SBを基本として定位置を掴む。その高野を3年目、行徳監督がCHにコンバート。正確なパスと競り合いの強さで中盤不動の存在となり、1年を通して活躍した。

 特に身体能力に秀でたタイプではないが、知性と判断力に長け、ユースのスピードにも速やかに対応した。相手の先を取ったポジションで優位に立ち、正確に味方に向けて跳ね返す安定した守備を見せる。華麗さや意外性はないが、ポストの足下へ低いフィードを正確に入れる技術を両足に有し、後方から組み立てる。元々がFWだけあって闘争心が強く、煮え切らぬ状況に時に積極的に攻め上がるとことも。いろいろな意味で周囲が良く見えており、ボールコントロールに細心の気を遣う一方、味方のミスには容赦ない叱咤を飛ばす。
 長所であり、短所でもあるのが、精神面。非常に強い気持ちを持ち、屈強な相手に激しく当たり、先輩にもコーチングする。が、熱さが空回りし、汚いファウルで警告を受けたり、PKを与えてしまったり、安易に飛び込んで交わされたりする。またプロ昇格という観点では、身体能力を前面に出してくる相手に対し、体格的な脆さがあった。


▼柴田 和也 1987.06.15生 [165cm/60kg] CH・右SH 「シバタ」「シバ」
  長田東SSS→エスパルスSS静岡→清水JY→清水Y (常葉橘高)、静岡中3選抜 (02年)

 篠田悠・高野一のスペイン移籍後、清水入り。当初は右SBで起用されていたが、中3時には右SHで定位置を確保すると、昇格後も同じポジションで激しいポジション争いを繰り広げた。が、2年になると1つ下の小泉も加わって競争は激化、出場機会を減らしてしまった。そんな柴田の転機になったのが、行徳監督によるCHコンバート。決して派手な活躍はしなかったが、与えられた役割をきちんとこなす堅実なプレーで、監督の信頼を得た。

 Jrユース時代は、足下で勝負する八木に対し、走力を活かしてサイドスペースを一気に踏破する切込隊長だった。ユース昇格後も、一瞬のスピードとテクニックを活かして交代の切り札となり、スペースを得れば決定的な仕事をしてきた。一方、ダイレクトプレーと動きながらのプレーの精度の良さは、サイドプレーヤー時代から健在で、それに着目したのが行徳監督である。CHにコンバートされた柴田は、その運動量・ダイレクトプレー・ムービングプレーといった特長を、最大限に発揮。相手に呼応して絶えずポジショニングを修正し、体を入れてボールを奪い、近くの味方に正確に繋ぎ、自らは前に向かって走り出すといった地味な貢献を繰り返し、「ユースの伊東輝悦」の名に値する活躍を見せたのである。
 自ら仕掛けるドリブルに消極的で、独力でスペースを生み出す創造性にも欠け、膠着状態を打破できるほどの「個」の力は備わっていない。そのため、チームが試合を支配していないと、そのまま消えてしまう。「柴田が目立つと勝ち試合、柴田が消えていると負け試合」だったのは、柴田の請け負う役割の大きさを物語ると同時に、柴田がチームの中で活かされていることの証拠でもある。


▼前田 陽平 1987.06.22生 [182cm/70kg] GK 「マエダ」
  静岡FC/長田東SSS (静岡・長田東小) →清水JY (静岡・長田南中) →清水Y (静岡学園高)
  U-16日本代表・U-16NTC・静岡高1選抜 (03年)
  U-15日本選抜・U-15GKキャンプ・U-17/14NTC・静岡中3選抜 (02年)
  U-14日本選抜・U-14NTC・U-15GKキャンプ (01年)


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04月02日(木)
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