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えすぱっ子
by ひかる。
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■選手紹介 1984年度組
 技術・判断・体格のトータルで優れた安定感を誇る、高いレベルで完成されつつあるDF。Jrユース時代はさほど目立たない存在だったが、昇格後急変。池田の昇格・佐野の離脱・菊地の昇格拒否が襲ったチームで、ゼムノビッチ監督により1年生からレギュラーに抜擢されると、そのまま3年間、ポジションを譲ることはなかった。代表レベルでも評価され、特に00年アジア最終予選では救世主的な活躍をするが、01年世界大会では新入りの大井にポジションを奪われる屈辱も味わっている。

 最終ラインに位置しながら、積極的に中盤に飛び出してインターセプト、そのまま的確な前線フィードに繋ぐのが持ち味。だが相方の渡邊が似たプレースタイルを採るようになり、サイズに長けた高山が残ってカバーリングを担う機会が増えるようになった。高2ではリベロを経験し、戻りながらの守備が格段に向上。1対1の応対力にも優れ、地上戦では無敵の存在感を誇る。高山の正面でボールを持つのは得策ではないだろう。また、足下のテクニックはDFとは思えないほど芸術的な香りがあり、セットプレーから頭と足技の両方で、大事な試合でも得点を決めてきた。
 ただし、周囲に対する責任感、特にコーチングの意識は希薄。高さは一定水準に達しているが、跳ね返し能力に劣っており、今後は競り合いの強さを磨く必要があるだろう。
 大学は筑波大学に進学予定。4年後のJ再挑戦を目指す。


▼杉山 拓也 1984.11.10生 [180cm/65kg] 左右MF・FW・左右SB 「タクヤ」
  清水Jrユース→清水ユース(静岡農業高)

 長身俊足を誇る、走りの能力に長けたアスリート。それだけにクラブの期待は早くから高く、中2で既に古橋(→静岡学園)と右MFのポジションを争いながら高円宮杯初優勝に貢献したが、ブレイクには至らなかった。ユース昇格後も出番に恵まれず、得意の右MFの層が厚いこともあり、最後までポジションは固定しなかった。
 最大の武器は瞬発力と持久力を兼ねた走力で、瞬間の突破力があり、かつ長い距離を攻め上がることができる。だが、突破した後のキックの精度が低く、有効なシュートやクロスに繋がらなかったのが、苦悩の原因だろう。ポジショニングも悪く、スペースへは走力を発揮するが、足下へのパスを受ける際に工夫が足りない。同時に苦労して学ぶことも多かったようで、DF経験から適切な判断力を修得し、サイズを生かして攻守に粘りが出るようになった。卒業後は中央大学に進学予定。


▼仁科 克英 1985.01.17生 [174cm/70kg] FW・左右MF 「ジャロ」
  福山市引野小(広島)→清水Jrユース→清水ユース(静岡工業高)、二種登録(02年)

 「ジャロ」。広島人。中学までは母親が来てたようだが、高校は寮暮らしらしい。
 大型ストライカー阿部と稀代の司令塔浩太と一緒に、万能型の仁科は99年ナイキ杯準優勝から魅惑のトライアングルを形作った。ユース昇格後、1年目からアウトサイドMFとして抜擢、突破力と長短のシュート力が急成長した。高2のクラブ選手権ではFWとして長沼や阿部と組みながら7得点を稼ぎ、得点王。高3でも5得点を挙げ、大会通算13得点(15試合)という見事な記録を残している。

 チーム一の鈍足と言われ、身体能力は最低レベル。だが前述のトライアングルを組む中で、特に浩太の厳しい要求に応えてきた経験が、判断力を研ぎ澄まさせた。周囲と適切な距離を保った上で動き出しの早さで勝負する、オフ・ザ・ボールの質が彼の武器。高2の1年間で、実にFW・トップ下・ボランチ・左右サイドMF・左右SBを担当した事実が、その質の高さを物語る。
 時に華麗で、時に泥臭いテクニックも特長。実際は、がむしゃらに合わせたボレーや最後まで粘るドリブルが、努力の結果、鮮麗に映るまでに昇華されたという見方が正しいだろう。また浩太の独特のリズムに適応しただけに、速い展開の中でも周囲に決定的なパスを送ることができる。清水では珍しい優秀な受け手であると同時に、清水らしいビルドアップの能力にも長けた万能型FWとして、理想的なセコンダ・プンタ(セカンドFW)。

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04月02日(月)
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