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えすぱっ子
by ひかる。
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■選手紹介 1987年度組
  1FC伊勢丘FC→IFC福山 (福山市鳳中) →清水Y (静岡学園高)→専修大学
  U-14NTC (02年)

 この期の唯一の外部参入組。中3の時に、FWで中国地区からナショナルトレセンに選ばれている。清水加入1年目に、コミュニケーション不足を補う活躍で、右SHを中心に準レギュラーになるが、1年生の終盤に篠田悠の復帰で先発11人枠から押し出される。高2でもアウトサイドに突破力を求める築館氏の構想から外れた格好になったが、氏の辞任後に監督を代行した望月氏からは相応に重用された。しかし、最終学年では断続的な怪我に悩まされ、満足な出場時間を得られなかった。
 太田・日高・獅子内といった外部参入組と同様にドリブルが魅力だが、単なるスピード勝負よりも、体を巧く使ってマークを押し退けながら、ドリブルするのを得意としている。ただ、今までのどこか荒削りだった外部参入組と違い、谷野は判断力とポジショニングに優れ、スペースを有効活用する術が身に付いている。そのため、やや後方に位置して守備に参加しつつ、広い視野から正確なパスを配給して組み立てる仕事も任されるようになった。守備も戦術的で、競り合いにも強い。セットプレーを託されるように、キックは質も高く、パワフル。万能型であり、安心して見ていられる選手だが、それは同時に、ズバ抜けた独自の武器に欠けるところがあった。


▼篠田 悠輔 1987.04.20生 [170cm/64kg] FW 「ユウスケ」
  清水FC/東海大附属小→清水JY (清水八中) →エスパニョール (バルセロナ日本人学校) →清水Y (静岡サレジオ高)→富士常葉大
  二種登録 (04年) 、静岡中学生選抜 (00年) 、U-12NTC (99年)

 篠田大輔の実弟。清水FC出身で、全日本少年大会では10番FWとして3位、99年U-12NTCCにも選ばれるなど、早くから注目されていた。Jrユース加入早々、1代上に混じってナイキ杯出場 (準優勝) 、冬には2代上に混じって高円宮杯にも出場 (優勝) している。すると、その次の春、前年夏に清水Jrユースと小学生チームが対戦したスペイン一部エスパニョール (当時、清水FCの先輩・西澤明訓が所属) が高野一の移籍を要請、悠輔は清水側に推薦され、2人ともに下部組織 ("INFANTCIL A") に移籍していった。
 移籍後、初戦でハットトリックデビューを飾ると (試合は6−1) 、異国の環境に苦悩しながらも、翌年は18得点で州リーグ2位に貢献。チームのU-16スペイン代表FWに劣らぬ活躍で、監督も「このまま頑張ればプロになれる」と期待していたそうだ。更に上のカテゴリへの昇格を打診されていたが、高野一が日本に戻ることが決まると、悠輔も帰国を選択。最終的な所属は、"CADET A" だった。日本での1年目は、569分の出場で4得点の成績を残している。2年生ではプレー幅を広げようとサイドで試されたが、消化不良に。その頃から怪我が増え、3年目にも定位置を掴めなかったが、最後のJユースカップでは265分出場6得点と、さすがの得点力を見せつけた。

 スペイン留学を経て、悠輔のプレースタイルは大きく変わっていた。留学前は常に目立つドリブラーだったが、今はゴールの瞬間のみ目立つストライカーである。ラウールをボールをゴールに流し込む術にかけてのみ唯一無二の存在、という評価があるが、悠輔もそれに近い。スピードがあると言われるが、サイドスペースへの動きは少ない。巨漢DFに潰されることも多い。しかし、意図的な激しい緩急の差で隙を作り出し、その隙に決めてしまう冷静さと、ゴールを「盗む」技術がある。正確なトラップと、GKの呼吸を外す間合いと、フカす気配すらない低く正確なシュートは、玄人好み。日本人標準からかけ離れた「マリーシア」も、特徴の一つ。
 PA内ででの凄みに比べ、PA外では平凡。体を預ける際のボディシェイプに、テクニックの高さを垣間見せることもあるが、大抵は簡単に捌いてしまう。さらにファウルも多く、ドリブル突破もなく、大きな展開力もないため、得点以外の仕事ができない。いや、実力的にできないというよりも、集中力を欠いて雑になるところがある。


▼高野 美臣 1987.05.25生 [171cm/65kg]  CH・左右SB・CB 「ヨシト」

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04月02日(木)
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