ID:70753
えすぱっ子
by ひかる。
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■選手紹介 1983年度組
 しかし、中盤の要としては安定感の欠ける選手でもある。アウトサイドで活きなかったように、突破力に乏しいため、膠着状態を自分で決めるだけの打開力に欠ける。さらに、機動性に乏しく、判断に速さに欠けるため、プレスが厳しい相手だと長所を見せる間もなく、消極的なパス回しに終始し、試合から消えてしまうことがある。また守備も苦手にしており、当たりが弱く、体の寄せも遅い。何より性格的に大人しい部分があり、プロ選手として意識改革を望みたい。
 元々、昇格決定前に新潟のセレクションを受けるなど、ボーダーラインにあった選手だが、残念ながら1年で戦力外通告を受けてしまった。今後は仁科と同じ、国士舘大学に舞台を移すことになる。


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▼日高 拓磨 83.04.08生 [176cm/63kg] 右MF・FW 「タクマ」
  旭ヶ丘FC→(常葉橘高→明治大)、二種登録(01年)

 高円杯を制しながら経営危機の影響もあり、Jrユースから昇格したのは深沢・森山だけという83年度組において、日高もまたユースからの途中参入組である。
 参入1年目は殆ど試合に出られなかったが、2年目にゼムノビッチ監督に代わると右MFに転向、一気に主力に。特に右SB高木と組んだ時のサイド攻撃は迫力十分であった。最終学年時には完全に攻撃の核に。某川端氏は「得点の3割以上に絡んでいそう」と評したが、私の記録では出場試合において43%の得点に絡んでいる(ゴール・アシストのみ)。

 ユースの出世頭、市川・太田・純平という右サイドの系譜に連なる選手で、日高も同様に走力と突破力を兼ねた圧倒的な破壊力を宿していた。その中で、日高の特長は得点力。元々がFWということもあってシュートの精度が高く、裏に抜け出して1対1になれば、まず外さない。さらに4月生にも関わらず、ユースに入ってからも身長が伸び、空中戦でも高い得点力を誇った。ダイレクトシュートのコントロールも特筆もので、特に逆サイドのクロスに対しファーで頭から飛び込むプレーは、ダイナミックであった。クラブ選手権5位決定戦では、決勝を控える札幌サポより「ウチのクラブに欲しい」という賛辞を頂いている。
 しかし、市川のように守備でも光るような選手ではない以上、太田のクイックネス、純平のドリブル突破・ミドルシュートといった膠着状態すら打開できる圧倒的な武器がなかったのが痛かった、01年は確かに日高が攻撃の鍵を握っていたが、その日高を警戒して引いた相手を崩すことなく敗れた試合も多かった。その類い希な攻撃センスは、相手がマークを切らした時限定である。市川がアシスト王、太田が甲府で大活躍、純平もACWCでデビューした年に昇格が見送られたのは、残念ながら納得もできる決断である。


▼長沼  圭 83.06.06生 [180cm/70kg] FW 「ケイ」「ナガヌマ」
  愛知FC→(静岡北高→愛知学院大)、二種登録(01年)

 元読売ランドの得点王。当時から「超大型ツートップ」と名高い存在で、中学生時代も大いに活躍、愛知FCから唯一、クラブ選手権優秀選手に選ばれている。
 清水への加入はユースから。1年生時は殆ど出場機会はなかったが、アルゼンチン遠征で隼人と組んでCBで登場! 恐るべきはゼムノビッチ采配だが、それ以後は完全にFWの柱に成長、サイドアタックの最後を締めるフィニッシャーとして、Jユース杯では11得点を稼いでいる。だが、3年生では純平・村松の昇格に伴うサイド攻撃の鈍化に伴い、破壊力が低下。1年生阿部の台頭を許し、長沼は最終的にフィジカルチェックで昇格を見送られた。ちなみにJユース杯では、2年間通算26得点という凄まじい記録を残している。

 大柄でスピードはなく、足下も不器用だが、ゴール前では凶暴。どんなボールだろうがゴールに押し込もうという強い意志が、技術・運動能力を超えた得点力を生んでいる。「シュート打たない病」に多くが罹患する清水の中で、貴重な存在であった。一方、ポストの動きは洗練されており、中盤に戻ってクサビのパスを速い判断で、簡単かつ正確に捌いて戻る動きを修練している。

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04月02日(土)
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