ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■『本の雑誌』の危機
『本の雑誌』2009年1月号(本の雑誌社)の椎名誠さんの「今月のお話」の一部です。椎名さんが、いままでのつくってきた数々の出版物(学級新聞からストアーズ・レポート、「本の雑誌」まで)の「編集長歴」について書き連ねてきた文章の最後の部分。

【『本の雑誌』の実質的な編集長をやっていたのは創刊して十年目ぐらいまでだったろうか。あとは目黒(孝二)が実質的な発行人兼編集長をやっておりぼくはモノカキの世界であっちこっち動きまわっていた。作家になって4年ぐらいして「白い手」という高校生のときに学校新聞で書いた掌編を長編小説に書き、それは東宝で映画化された。『本の雑誌』はその頃5万部になっていた。
 2008年になって『本の雑誌』の経営が急に悪化し、このままでは「休刊」に追い込まれるかもしれない、と現経営者に聞き、これはいかん、と思い、ぼくはもう何年も前から実質的な編集現場から離れていたが、なんとか立ち直る方向でみんなと頑張ることにした。今回いきなり自分の編集長の系譜を書いたのは、これが最後の「今月のお話」になるかも知れないから、と言われたからだが、これを書いている途中で(締切前日に)まだもう少し這いつくばってでも出していこう、というスタッフみんなの決意になった。地方の講演などに行くと、むかし『本の雑誌』読んでました、などという人とよく会うけれど空前の危機を迎えてしまったのでぜひまた『本の雑誌』を読むようにしてほしい。】

巻末の発行人・浜本茂さんの言葉
【今月のお話で編集長が書いているとおり、2008年になって当社の経営財務状態は急激に悪化した。それもサブプライムだのリーマンだのと言われだした時期に一気に悪くなったので、おお、わが社は世界経済ともリンクしていたのか、さすがワールドワイドな雑誌だのお。などと束の間は笑っていたのだが、もちろん笑っている場合ではなく、気がついたら存亡の危機に陥っていたのである。結果的に、人件費を始め、さらなる歳出削減を進めた上で、いましばらく這いつくばってみよう、ということになったが、本誌を取り巻く状況が楽観的ではないことは、お伝えしておかなければならないだろう。それはひとえに私の責任だが、今後、定価の改定等、読者のみなさんにもご負担をいただくことになるかもしれません。この雑誌を読んでしまったのが運の尽きと、継続的な刊行に力を貸してもらえるとうれしいです。】

参考リンク(1):WEB本の雑誌

参考リンク(2):「本の雑誌」(本の雑誌社)の経営危機について(愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記(2008/12/16))

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 僕がこの「『本の雑誌』の危機」を最初に知ったのは、このサイトの12月12日付けの記事でした。
 あわてて『本の雑誌』の今月号を買って読んだのですけど、いつも通りの誌面(なかには、「今号から新しく連載をはじめます!」なんてい人もいました)の巻末に、編集長の椎名さんと現発行人の浜本さんの言葉があったのです。
 僕が『本の雑誌』のことを知ったのは、大学時代に先輩に教えられて愛読するようになった椎名誠さんの著書からでした。椎名さんたちが安アパートに男だけで集団生活をしていたときのことを描いた『哀愁の町に霧が降るのだ』を読み、その仲間たちが同人誌から手弁当で『本の雑誌』を立ち上げ、部数を伸ばしていったのを知って、当時「周りに仲間もいない、孤独な本好き」だった僕は胸を躍らせていたのです。
 僕もぜひ『本の雑誌』を手にとってみたいものだとずっと憧れていたのですが、僕が住んでいた地方都市の1990年代前半は、中規模な郊外型書店が乱立していたものの『本の雑誌』を置いているような大型書店はありませんでした。
 ですから、僕が『本の雑誌』をはじめて実際に見たのは当時天神コアにあった紀伊国屋で、それからもしばらくは、「博多に出たときにしか買えない本」だったのです。当時は、Amazonなんて影も形もありませんでしたしね。今から考えたら、通販で定期購読するという手もあったので、やはり、それほど熱心な読者ではなかったのかもしれませんけど。

 『本の雑誌』は1976年4月から発行されていたそうなので、僕が実際に読んでいたのは、ある程度軌道に乗ってから、ということになります。

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12月16日(火)
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