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活字中毒R。
by じっぽ
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■『ハチワンダイバー』の作者に「引導を渡した」プロ棋士
『このマンガがすごい! 2008』(『このマンガがすごい!』編集部・編:宝島社)より。
(「オトコ編」1位に輝いた『ハチワンダイバー』の作者である柴田ヨクサルさんへのインタビューの一部です。取材・文は伊熊恒介さん)
【インタビュアー:ご出身は北海道の……。
柴田ヨクサル:留辺蕊(るべしべ)って町なんですけど、今はもう北見市に吸収合併されてしまいました。なんにもない田舎なんで、将棋も暇つぶしの一環で始めて。
インタビュアー:奥深さにハマッていった。
柴田:しばらくして子供たちを集めてやる大会に出たんですけど、そこには同い年くらいで、けっこう強いやつがいるんですよ。単純にそういうやつに負けたくないっていうのもあって。まあ、その子たちもそんなに強くなくて、ちょっと覚えるとすぐ抜かしちゃったんですけど。
インタビュアー:留辺蕊の少年将棋界で強豪としてのしていくわけですね。
柴田:はい。デパートの大会で勝ったりして。
インタビュアー:勝ち上がるたびに、将棋の面白さに引き込まれて。
柴田:ただ、途中でファミコンが我が家にやってきた時には、横道にそれるんですけど(笑)。やっぱり将棋のほうが面白かったですね。
インタビュアー:どのくらいまで上り詰めたんですか?
柴田:小6のときには相当強くなっていたので、将棋連盟の留辺蕊支部長から奨励会入りの話が出てきました。
インタビュアー:おお、将来の目標は決まった!
柴田:小学校の卒業アルバムには「自分のなりたいもの」に「プロ棋士」って書きました。今見ると、悲しくなりますね。
インタビュアー:そのくらいの意気込みはあったんですね。
柴田:それで、何回かプロの方と指して実力をためされて、関根茂九段(当時。現在は引退)と二枚落ちでやって勝てたら、いよいよプロ入りをお願いするって話になったんですよ。でも、結局負けてしまって。しかも「これじゃ通用しないよ」って言われて恐ろしいほどのショックを受けて、その日からぱったりと指さなくなりました。
インタビュアー:子供にもバッサリ言うんですね……。
柴田:その日のことはずっと後悔をしていて、今でもなんとなく局面を思い返すことがあります。
インタビュアー:四半世紀近くも経っているのに。
柴田:ものすごく恥ずかしい手をさしてしまいましたから。「あの時、なんてあの手を?」みたいな……。
インタビュアー:その悔しさみたいなものが、1巻で菅田が泣きながら指すシーンに投影されているのでは?
柴田:多少あります。
インタビュアー:やっぱり泣きましたか。
柴田:家に帰って泣いたと思います。
インタビュアー:そこからもう一度「見返してやるぞ!」って気には?
柴田:ならなかったですね。その日からは将棋を見るのも嫌になっちゃいました。今くらいの精神力があれば立ち直れたと思うんですけど、当時は無理でした。
インタビュアー:それまで天狗になっていた自分が全否定されたんですね。
柴田:完全に天狗でした。もう、調子こきまくりですよ。どこのデパートにいっても子供相手なら負けないし。
インタビュアー:では、中学に入ったら将棋のことは忘れちゃってたですか?
柴田:そうですね。それからは将棋のプロになるっていうのは、ぜんぜん考えなくなっていました。今思えば、羽生善治さん達とほぼ同期でしたから、最強世代の天才たちと当たることを考えたら、あそこで挫折していてよかったと思いますよ(笑)。
(中略)
インタビュアー:将棋を知っている読者と、門外漢の割合はどのくらいなんでしょう?
柴田:8対2、くらいで考えていたんですけど、どうやらそうでもない感じで。実際には6対4くらいじゃないかな?
インタビュアー:棋譜の監修は鈴木大介八段ですね。
柴田:将棋だけじゃなくて、いろんな面で本当に助けていただいてます。
インタビュアー:対局シーンに関しては、どのような関わり方なんですか?
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12月16日(日)
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