ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■『ハチワンダイバー』の作者に「引導を渡した」プロ棋士
『このマンガがすごい! 2008』(『このマンガがすごい!』編集部・編:宝島社)より。

(「オトコ編」1位に輝いた『ハチワンダイバー』の作者である柴田ヨクサルさんへのインタビューの一部です。取材・文は伊熊恒介さん)

【インタビュアー:ご出身は北海道の……。

柴田ヨクサル:留辺蕊(るべしべ)って町なんですけど、今はもう北見市に吸収合併されてしまいました。なんにもない田舎なんで、将棋も暇つぶしの一環で始めて。

インタビュアー:奥深さにハマッていった。

柴田:しばらくして子供たちを集めてやる大会に出たんですけど、そこには同い年くらいで、けっこう強いやつがいるんですよ。単純にそういうやつに負けたくないっていうのもあって。まあ、その子たちもそんなに強くなくて、ちょっと覚えるとすぐ抜かしちゃったんですけど。

インタビュアー:留辺蕊の少年将棋界で強豪としてのしていくわけですね。

柴田:はい。デパートの大会で勝ったりして。

インタビュアー:勝ち上がるたびに、将棋の面白さに引き込まれて。

柴田:ただ、途中でファミコンが我が家にやってきた時には、横道にそれるんですけど(笑)。やっぱり将棋のほうが面白かったですね。

インタビュアー:どのくらいまで上り詰めたんですか?

柴田:小6のときには相当強くなっていたので、将棋連盟の留辺蕊支部長から奨励会入りの話が出てきました。

インタビュアー:おお、将来の目標は決まった!

柴田:小学校の卒業アルバムには「自分のなりたいもの」に「プロ棋士」って書きました。今見ると、悲しくなりますね。

インタビュアー:そのくらいの意気込みはあったんですね。

柴田:それで、何回かプロの方と指して実力をためされて、関根茂九段(当時。現在は引退)と二枚落ちでやって勝てたら、いよいよプロ入りをお願いするって話になったんですよ。でも、結局負けてしまって。しかも「これじゃ通用しないよ」って言われて恐ろしいほどのショックを受けて、その日からぱったりと指さなくなりました。

インタビュアー:子供にもバッサリ言うんですね……。

柴田:その日のことはずっと後悔をしていて、今でもなんとなく局面を思い返すことがあります。

インタビュアー:四半世紀近くも経っているのに。

柴田:ものすごく恥ずかしい手をさしてしまいましたから。「あの時、なんてあの手を?」みたいな……。

インタビュアー:その悔しさみたいなものが、1巻で菅田が泣きながら指すシーンに投影されているのでは?

柴田:多少あります。

インタビュアー:やっぱり泣きましたか。

柴田:家に帰って泣いたと思います。

インタビュアー:そこからもう一度「見返してやるぞ!」って気には?

柴田:ならなかったですね。その日からは将棋を見るのも嫌になっちゃいました。今くらいの精神力があれば立ち直れたと思うんですけど、当時は無理でした。

インタビュアー:それまで天狗になっていた自分が全否定されたんですね。

柴田:完全に天狗でした。もう、調子こきまくりですよ。どこのデパートにいっても子供相手なら負けないし。

インタビュアー:では、中学に入ったら将棋のことは忘れちゃってたですか?

柴田:そうですね。それからは将棋のプロになるっていうのは、ぜんぜん考えなくなっていました。今思えば、羽生善治さん達とほぼ同期でしたから、最強世代の天才たちと当たることを考えたら、あそこで挫折していてよかったと思いますよ(笑)。

(中略)

インタビュアー:将棋を知っている読者と、門外漢の割合はどのくらいなんでしょう?

柴田:8対2、くらいで考えていたんですけど、どうやらそうでもない感じで。実際には6対4くらいじゃないかな?

インタビュアー:棋譜の監修は鈴木大介八段ですね。

柴田:将棋だけじゃなくて、いろんな面で本当に助けていただいてます。

インタビュアー:対局シーンに関しては、どのような関わり方なんですか?


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12月16日(日)
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