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活字中毒R。
by じっぽ
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■東野圭吾さんが「作家になって一番辛かった時期」
『オール讀物』2006年3月号「第134回直木賞決定発表」より。

(『容疑者Xの献身』で、第134回直木賞を受賞された、東野圭吾さんの自伝エッセイ「楽しいゲームでした。みなさんに感謝!」の一部です)

【そして7月2日の午後7時半頃、運命の電話が鳴った。
「おめでとうございます」
 この台詞を耳にした時には、頭がくらっとした。新しい世界への扉が開かれる音がはっきりと聞こえた。
 事実、それからほんの少しの間はバラ色だった。単行本の『放課後』は十万部も売れた。週刊文春のベストテンで1位にも選ばれた(当時が乱歩賞作品が1位になるのがふつうだったが、そんな事情は知らなかった)。
 しかしそんなものが長く続かないことは私にもわかっていた。ここが勝負所だと思った。それで会社を辞めて上京することを決心した。
 ところが上京後に会った編集者は明らかに困惑していた。
「あんなにいい会社、よく辞める決心がつきましたね。一言相談していただければ、アドバイスできることもあったのですが」
 新人賞を獲り、浮かれて会社を辞めて上京――おそらくそういう新人作家が多いのだろう。それを思いとどまらせるのも彼等の仕事なのかもしれない。
「大丈夫です」私はいった。「十分に計算した上でのことです」
「いや、そうはいっても筆一本で食べていくのはなかなか大変ですよ」
 依然として不安そうな彼に私は次のような話をした。
『放課後』は10万部売れた。しかしそれは乱歩賞受賞作だからであり、今後そんなに売れることはありえないだろう。妥当な数字はその十分の一だと考える。つまり1万部だ。
 一方会社を辞めることで執筆に専念できるから、年に三作は書くつもりである。
 千円の本なら印税が百円入る。要するに年間の印税収入は300万円ということになる。これは会社員時代の年収とほぼ同じである。
 以上の話を聞いた編集者は、そこまで考えておられるのなら大丈夫でしょうといって、ようやく笑ってくれた。どうやら彼は私の会社員時代の給料を過大評価していたようだ。
 自分で言うのも変だが、この時のシミュレーションは、デビューしたての新米作家が立てたものにしては、じつに正確だった。実際、上京してからの数年間の収入は、この想定額を少し上回る程度にすぎなかったのだ。そしてそのことに不満はなかった。この業界で生きていくことは、当初覚悟していた以上に厳しかった。乱歩賞という看板の有効期間は驚くほど短かった。何しろ翌年の乱歩賞受賞パーティでは、担当編集者以外、殆ど誰も私の名前を覚えていなかったのだ。乱歩賞でさえそんな具合なのだから、他の新人賞ともなればもっと厳しい。毎年、多くの新人作家がデビューしてはいつの間にか消えていくという状況を目にするうち、作家として生活ができるだけでもありがたいと思うようになった。
 そんな私にショックを与えたのが、近い世代の作家たちの台頭だった。後からデビューした作家が次々と文学賞を獲り、名前をあげていく。また新本格の旗印をあげた連中が、楽々と大量の読者を獲得していく。
 焦ったときには遅かった。私の名前は読者にとっても評論家にとっても新鮮なものではなくなっていた。自分では力作を書いたつもりでも、はじめから注目されていないのだから、話題になりようがない。『天空の蜂』という作品を3年がかりで書いたときには、ペンネームを変えることさえ本気で考えた。
 思えば作家になって一番辛い時期だったかもしれない。辞めたいとは思わなかったが、どうしていいかわからなかったのは事実だ。】

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03月09日(木)
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