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活字中毒R。
by じっぽ
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■伊集院光が語る「活字メディアと生のフリートークの共通点」
実は僕自身は、この番組が九州ではオンエアされていないので、上京した際断片的に聴いたり、伊集院さんのエッセイ集『のはなし』を読んだりしたことしかないのですけど。
「深夜帯での聴取率1%」=「お化け番組」というのは、ラジオが置かれている現状をよくあらわしているのかもしれません。
同じ時間帯でも、テレビ番組であれば、1%でこんなに評価されることはないでしょうから。
いまの中高生は、僕がそうしていたように、ラジオの深夜放送を聴きながら勉強しているのかなあ。
この伊集院さんのお話というのは、「ラジオ好き」だった僕にとって、とても興味深いものでした。
そして、「思いついたことを適当にしゃべっている」ように思えるフリートークについて、パーソナリティはここまでギリギリのところの「編集」をしているのかと驚かされました。
そこまでやるならキッチリ台本を作ってしまえばいいじゃないか、とも思うのだけれど、深夜ラジオのフリートークっていうのは、「いかにも台本通り」だと、かえってリスナーも盛り上がらないような気がします。深夜放送だと「今思いついたことをダラダラしゃべっているような感じ」のほうが、聴いてて楽しかったんですよね、なんとなく。
それに、パーソナリティのなかには、「具体的に名前を挙げる」ことによって「毒舌」でウケを狙うタイプの人もいるので、すべての人が、伊集院さんと同じような考えかたをしているのではないはず。
でも、少なくとも若いリスナーが多い深夜放送では、こういう「言葉を介してのパーソナリティとリスナーの想像力の綱引き」というのはけっこう大事な要素なのではないかと思うのです。
言葉っていうのは不思議なもので、テレビだと、「絶世の美女」を表現するために、美しい女優さんを連れてきても「イメージと違う」と思う人は必ずいるはずです。
ところが、ラジオや小説だと、受け手は勝手に「自分にとっての絶世の美女」を思い浮かべてくれます。
だからといって、あまりに「絶世の美女が……」なんて相手の想像力に任せっぱなしにしようとすると、「なんだこの幼稚な表現は……」としらけてしまうんですけどね。
そのあたりの「さじ加減」というのは本当に難しいのだけれど、それを実際に意識してしゃべっているパーソナリティは、そんなに多くはないような気がします。
長く続いている人気パーソナリティに「言葉の編集のプロ」であるシンガーソングライターが多いのは、彼らが「もともと人気者だったから」だけではなく、「言葉を通じて聴き手と想像力の綱引きをすることに慣れている」という理由が大きいのではないでしょうか。
僕は何年か前に大学の研究室で働いていたとき、「ラジオの面白さ」を再発見して、またラジオを聴くようになったのですが、「ラジオの魅力」っていうのは、僕にとっては、「人がしゃべっているのを聴いていられる楽しさ」なんですよね。
テレビはある程度集中して観ないといけないし、誰かの話を長い時間カットせずに聴かせてはくれない。
ラジオには、「想像力を刺激される」のと同時に、「誰かがそばにいてくれるような安心感」があるような気がします。
個人的には、やっぱり年齢的にも起きなければならない時間的にも深夜放送を聴くのは辛いので、有料でもいいからいつでも聴けるように配信してくれないかな、とも思うのですけどね。
ポッドキャストもだいぶメジャーになってきましたし(iPodの大きな容量というのは、ラジオ番組を録音して入れておくのにもかなり便利です)、これからは「パーソナリティがしゃべるラジオ番組」が見直されてくるのではないか、僕は、そんなふうに少し期待しているのです。
深夜放送っていうのは、あの時間に眠気と闘いながら聴くからこそ、いっそう面白く感じるものなのかもしれませんが。
03月01日(日)
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