ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6755,閑話小題 〜 幸せの始まりは

    * 自分を愛せるか?
 < 人を愛するよりも 人に愛されるよりも 
   まず自分を愛せたら 幸せの始まりだと思う >

 松下幸之助が、ある講演会で「ダム式経営」について、
(お金を貯めて流量を安定させる)の大事さを説いた時のこと。
聴衆の一人が「そのやり方が分からないから困っている」と質問しました。
その質問に松下さんは「まず、ダムを作ろうと思わんとあきまへんなあ」と
答えたそうです。 聴衆はその答えに失望し失笑したそうですが、
彼が言いたかったことは、「まず思い、強く願い続けることで実現させていけ」
つまり具体的なノウハウの前にまず「自分を愛せる自分であろう」その為には、
「小さい成功体験を積重ねて、その貯水量を満たせておけ!」ってこと…
 
 一般的に、まず両親の愛情に満たされた子は、愛情が満ちた人が多い。
夫婦破綻の子には、歪んだのが多い。 7割が離婚するというスペイン、
ポルトガル、ベルギーの人たち。あと2割が、家庭内離婚というから9割の子供は、
愛情に何らかの問題を抱えていることになる。 上手くいかないのが当り前とは? 
何かしら人生の不条理を感じる問題である。その事実を知らないで、仮面の舞踏
が日夜、くりひろがれている。だからこそ、夫婦愛は大事にしなければならない。

何らかの成功体験の積み重ねたベースがあればこそ、その自分を愛することが
可能になる。それと、感激、感動、感謝体験が加味されて個性が生まれてくる。
それ以前の、両親の無条件の愛情があればこそだが。 何か人生を振返ると、
あまりに甘いスタンスに、自分第一主義の己に赤面すること多し。
良かったことだけを優先して考えることで、自壊しないで何とか生きている?
確かに愛情豊かな人には、自己愛が過剰としても似あいの人が付いている。
過小よりは遥かに良いこと。
 <まず自分を愛せたら 幸せの始まり> ですか? 
それなら、私も幸せの筈! これこそ、「日々 是 口実」になりますか。
 他人様の、それは可視できるが、自分のこととなると、さてと… 

・・・・・・
6392,閑話小題 〜「…生きるために食べろ」と言いますが!
2018年09月13日(木)
     * 食べるために生きるな。生きるために食べよ。
 最近、週一度の映画観賞前のササヤカな外食が楽しみ。 牛丼、回転寿司、
カツ丼店の何れかだが… これが全く飽きないから摩訶不思議。 他に2ヶ月
に一度は、家内とステーキ・ランチか、焼肉ランチか、シャブシャブ店に行く。
 今では、安ランチで満足できる自分に吃驚。 遥か以前になるが、誰かに、
『近所に出来た「サエゼリア」が美味しい!これで充分満足!』と言った相方に、
『美味しいのを食べ尽したから言えること。普通は、味に敏感。高いイタ飯屋の
デナーと、空間が楽しみ。サエゼリアなら冷凍食品の方を選ぶ。 何か、嫌味に
しか聞こえない!』と言われたが… 成るほど! 
「食べるために生きるな。生きるために食べよ」の、この言葉も、捉え方一つで、
様々に解釈される。『食べるために生きて何故悪い!生きるために食べるのは
当り前。生活のためだけで生きていけない人間の存在を考えない言葉。生甲斐の
ため生きよとは、<衣食足って礼節を知る>で、足りなければ仕方がないだろう』
 
 山田風太郎が、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う」新聞連載
の随筆。 飄々とした語り口で、老いること、生きること、死ぬことを独創的、
かつユーモラスにつづったのが印象に残っているが、今度は、私の順番? 
で、風太郎が果たして、「食べるために生きるな。生きるために食べよ」に
対して、『毎食を味わっているのに、何をぬかす! 今さら生きるために食べろ
だと… たっく。人間って、飯を食って、糞して死ぬだけ。その食事に対し、
ツベコベ言うな!』と、相成るはず。しかし、最晩年ともなれば、悲しいことに、
「生かしておくために、食べさせられる」になる。あと何回、晩飯を食べられる
のだろう? 多く食べたく(長生きしたく)もあり、食べたくもなし。 

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09月13日(金)
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