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堀井On-Line
by horii86
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■6745,読書日記 〜「魂の」思想史 ―1
<「魂の」思想史/ 酒井健著 >
* 魂とは何か
魂、心、精神について、ここでどれほど書いてきたのだろう。
それにしても、<「魂の」思想史> とは、ドロドロしたような、
あな怖ろしテーマ。霊魂を想定するためか。魂で直に思いつくのが、
内海の洞窟に一人立つ人間の姿。岩場が「こころ」で、内海が、
外海をつなぐ個々の魂。外海と、空こそ「魂」と。洞窟の背後から
滝が流れているが、これは内界から迸る、これも、内なる「魂」。
――
〜ネット辞書によると〜
【「魂」の左の語「云」は、象形的には「雲のように見える煙やほこりのこと」
を表します。「ム」は「微細なものが地面から沸き立つ様子」、「ニ」は
「雲が空を駆ける様子」のふたつの状態を併せ持っています。
「魂」のもうひとつの漢字「鬼」は、中国では「死者の象徴」として「亡霊」
の意味を持ちます。地面から現れた「鬼=亡霊」がムクムクと上昇して空へと
向かう様子と「云=雲」とが引き合わされて「魂」となりました。】
この<「魂の」思想史>の序文に
【 漢字の「魂」は、「こん」と音読みし、「たましい」と訓読みします。
この「魂」とは、空気のように目に見えない存在です。しかし「魂」は古来、
生物に宿り、その働きを助け、機能させるものと考えられてきました。…
…似たような言葉に霊がある。漢字の成り立ちからみると、上部の「雨」と
「一」の文字が「連なった清らか水たま」、下部がそれに接する清らかな巫女を
現し、合せ転じてできた意味が「水たまのように冷たく清らかな神のたましい」
となる。】
――
〜Amazonの内容(「BOOK」データベースより)〜
合理主義と功利主義を基調とする近代。ゴッホ、ニーチェ、ボードレールから
岡本太郎、三島由紀夫まで―、彼らは時代の趨勢に齟齬を覚えつつ、魂の声に
引き寄せられ、思策と表現を行った。 曖昧で無限定な概念でありながら、
人々を揺り動かしてきた「魂」とはいったい何か。人間の内部と外部を通わせる
その働きに、著者は現代人が見失ってしまったものを看取する。近代の異端者を
通して生の息吹に触れる異色の思想史。
―
▼ たまたま現在、思いつくといえば、
<心という感情を想起させる日常の揺らぎを生み出す大元。これは、世界を覆う
魂の分霊であり、生前、死後に繋がっている。ある意味で遺伝子に似ている。
大自然に感動し、抱かれた感覚は、魂との邂逅といえる。私がポックリ逝った
して、残るのは、此処で書き連ねた言葉。生きてきた痕跡を残すには、魂を
込めて書くしか他に手立てがないため。後日の私に、いま、ここの私が笑われ
ないため。永遠に切りたった、「いま、ここ、わたし」が、魂である。>
・・・・・・
6382,読書日記 〜哲学と対決する ―3
2018年09月03日(月)
『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
ウォーバートン,ナイジェル著
* 哲学山の頂上は、カントですね!
私なら、一位がソクラテス。二位がカント、三位がニーチェになる。カントは
<まずはじめに世界(もの)があって、それを人間が認識するのではない。逆に
人間の認識能力にあわせて世界(もの)は形づくられ、はじめて存在する。>と。
これはコペルニクス的転回と言われるほど。思ったことに、対象を入れ込む、
人たちに、その原始的傾向をみる。
〔 私たちは目の前にあるモノを、そこにあるのが当然のごとく認識している。
「リンゴがあるからこそ、私はリンゴを見ることができる」
「ストーブがあるからこそ、私はストーブの熱を感じることができる」
物体や刺激が存在して初めて、私たちはそれを目で見たり肌で感じることができる
(客観的視点)と思いこんでいる。しかし、カントによる考えはこれとは全くの逆。
「私がリンゴとして見るからこそ、リンゴの姿として現れる」
「私がストーブの熱を感じるからこそ、ストーブの姿として現れる」
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09月03日(火)
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