ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6746,読書日記 〜「魂の」思想史 ―2


            <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
 投稿者の概略が内容説明より明快であることが多い、
その一例である。もっとも、この本の、何れのページを開いて読んでも、
大元に直接、繋がっているような感じがする。良い本とは、えてして、
そういうもの。 そこで試しにページをランダムに開いてみた。P38である。
その紹介は後半に紹介するが、成るほど、深く立ち入っている。

   〜Amazonのフォロアーの感想より〜
≪ ◉ 大きな魂の現れに魅せられた思索者たちの言葉に感じ入る  
                         2015年6月10日
「大きな魂の現れに魅せられた思索者たち」を手がかりに、哲学者・芸術家
といった人たちの言葉を、著者が気の赴くままに訪ね回る本です。
扱われるのはソクラテス、ゴッホ、ニーチェ、ボードレール、ヘーゲル、
シェリング、ノヴァーリス、ピカソ、岡本太郎、中谷治宇二郎、三島由紀夫。
この人達は心の底から湧き出てくるなにものかに魅せられ、独特の思索を
残しました。統一的な思想があるというわけではありません。
 しかし言葉の節々からエネルギーがあふれ、もやもやとした何かと格闘し、
その結果社会とは折り合いが悪くなった人が多く取り上げられています。
彼らを魅了した「もやもやとしたもの」は短く簡潔な言葉では十全に表わす
ことができないものであると言えます。それをタイトルでは「魂」という
漠然とした言い方にしています。

・ゴッホは内なる心に愛を求め、外に対しては自然界に神の現れを見出し
ましたが、悲劇的な死を迎えました。
・ニーチェは常に近代人としての自覚をうちに秘めながら、それでいて近代人
からすべてをなげうって外へと踏みだし、すべてを受け入れる運命愛をめざそう
とします。
・シェリングは啓蒙思想と古典主義に反発し、情念の自由や特殊性・不定形な
ものを賛美しました。自然界とは常に変化し人間を放浪するなにものだと考えた。
・岡本太郎は近代を相対化する視点を身につけ、例えば恐山で賽の河原において
生命全体の現れを見出します。

 近代の合理主義的な思想とは異なる、もっと大きく根源的で不定形な神性
すら感じられるもの。それらについて思索者達の言葉が引用されながら、読者
を深い大きなものへと誘っていきます。「魂」の概念は漠然としていますし、
扱われる内容も難しくはありますが、読み終えた後は漠然とした大きなものを
感じ取ることができると思います。≫
 ――
▼  ―魂を実体化するカルヴァン(p38)―
《『プシコパニキア』の中でカルヴァンは、人間の魂について、それまでの
キリスト教の不確かな見方を正して、はっきりした実体を与えようとする。
<他の者たちは魂の実体とは認めるものの、生命力といったものにすぎず、
 動脈や肺の生き吹きによって動かされていると。そして魂は、肉体なしで、
 生きられないため、人間が全面的に甦るまで、肉体と共に死んでいる、という。
 だが、私たちは、魂が一つの実体であり、肉体が死んだあとも感覚と知性を
 しっかり具えて生きていると主張する」(「プシコパニキア」) …
  … かってユダヤ教徒やキリスト教徒がアニミズムの霊魂感から神の魂を、
 人間の知性、感性に基づいて実体に立ち上げたように、彼はいま、人間の魂を
 人間に照らして明瞭な実体に、形ある生命体に、仕上げようとしている。
 しかし、それもゴッホの教会のように、そのような人間の作為も滅んでいく。
 ユーゴの言葉を借りるなら、様ざまな宗教は過ぎ去っていくが、神は在り
 つづけていく。その神とは、人間界と自然界に見られる生と死のとめどない、
 反復で、強いて言えば、そのような反復をもたらす生命力でしょうか。》

ということ。私たちの個々は死んでも、神様は生き続けていくということ。

・・・・・・
6017,ルネッサンス
2017年09月04日(月)
   * 近代の始まりは、「ルネッサンス」から

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09月04日(水)
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