ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6031,閑話小題 〜「わたし」と「わたくし」
< 意味としての心〜「私」の精神分析用語辞書ー北山修著 >
* 「わたし」と「わたくし」
40歳の頃か、<「私」を「わたくし」に替えて使えば、人生が変わる>と知り、
暫く意識をして「わたくし」と使っていたことがあった。言葉使いが確かに少し、
丁寧になっていた。 フォーク・クルセダーズの結成に参加し、「帰ってきた
ヨッパライ」を代表作を持つ作詞家でミュージシャンの北山修が精神医学の
医院の院長で色々な大学の教授をしていることを、この書で初めて知った。
ここで、「わたくし」の語源にカクシ(隠し)が入っているという。
<「世を渡るものが互いに非を隠す意」とは、内に隠される「非」という中身が
無ければ成立しない。 その「非」の一つが罪であるとすれば、罪はツミや
ツツシミと縁が深いという意見があるように、日本語で言う「私」こそ私的に
含まれる罪の置き場所なのでしょう。> と… 。
〜ネット検索によると〜
【 私(わたくし・わたし) - 語源由来辞典
私の語源は、「われ」「わが」などの「わ」に関係すると思われるが、それ
以上のことは 解っていない。「わたくし」は中世前期頃まで「公(おおやけ)」
に対する「個人」の意味で 、一人称の代名詞として用いられ始めたのは、中世
後期以降。「わたし」 は 女子供が使う言葉で、男が使う言葉でなかった… 】
成るほど、面白い。 この著書で、「わたし」について、
< 子供と、もう一人の子供の父親を、母親の「私」が取り持った二面性の世界
を生きる「つながり」のあることを理想とする。「わたし」という言葉には、
「わ」という最小単位が連なって「わたし=我+足し=私」となり、三角関係が
角を立てず、丸く円になるイメージが抱かれる。 こうして母親の掌の上で、
みんな転がされている。>
―
▼ 家の中では皆の平等が実現して、頂点の母親にぶら下がるのが家庭という、
図式になる。しかし、そのため、私たちは三角関係で揉まれる機会や、孤独や、
分離感を味わう機会を失ってしまう。「わたくし」といえば、「男はつらいよ」
のフーテンの寅さんの口上、「わたくし、生まれ も育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテン の寅と発し…」
を思い出す。 複雑な家庭環境で、問題児?だが、仏様のような心を持つテキヤ
が起こすイザコザが、「わたくし」の仄々とした世界…〔「わ」の最小単位が
連なった「わたし=我+足し=私」と、「ワタカクシ」〕を醸し出す。
寅の中にある「私」こそ「私的に含まれる罪の置き場所」と、監督は言いたい
のだろう。30数億年の生命の歴史からして、原罪の重さは並大抵ではない。
「わたくし」とは、それを背負って生まれた「わたし」のことである。
これが、少し理屈っぽいが、何気なく思っているが、実は何もしらない
「わたし」のことである。「わたくし」が、「わたし」に、地鳴りのように、
〔わかるかな~ わからないんじゃない シャバシャバ〕と、問いかけてきた。
・・・・・・
5665,シネマ評 『ウフィツィ美術館』 〜B
2016年09月18日(日)
『ウフィツィ美術館』 09/08 10:40
* 世界的名画・名品が勢揃い!
何ごとも、記録を残さないと、忘却の彼方に消えていく。世界的芸術との
触媒は、時空を超えて大きな響きを伝えてくれる。それを切欠に、作品の背景
の世界を知ることになる。家にある、日めくりの格言に「継続は進歩なり」が
ある。右に左に揺れて、目標に向かい継続をすれば、それが進歩になる。
このような世界的名画を意識して触媒し続ければ、魂が進化する。 鑑賞を
続けるうちに、鑑識眼が付いてくる。それが、魂を純化する力になる。
その力は、人間に対しても作用する。地元に縛られ、外に出れないなら、地元
にやってくる世界的名品の美術展に行けばよい。良いのは誰が観ても解るはず。
―――
★ サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
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09月18日(月)
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