ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5883,本物の教養 ー2

   * ネット上にあった「教養」とは
 いつものように、ネット検索で調べると、以下の通り。
「博識と教養とは違う」とあったが、経験や、知識を重ねる中で養われた
人間性というところ。私に言われているだろう「人間性に問題あり」とか
いうのは、「猫に小判」で、何ら意味(価値)を齎さないのか… 
でも、この年齢でも、好奇心を持ってワクワクして過ごせるだけでも充分。
 
《 カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記していることでなく、
 心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。
学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、必ずむごいエゴイストだ。
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、
全部忘れても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。
これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、
生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真に
カルチベートされた人間になれ!これだけだ、俺の言いたいのは。  
 『正義と微笑』/太宰治 》

《 僕を動かす原動力は、やはり好奇心であると思います。知的な好奇心、
 フィジカルな好奇心、少しでも意識を広げていきたいという思い。
                 『 村上さんのところ』/村上春樹 》
《 …ところで教養という言葉も、やはり何か定まった対象に関する知識の
 修得を意味しているではあろうが、その対象が何であるかはむしろ従であって、
 知識の修得によって、個々の知識以外に何かよきものを得る、自分自身の中に
 よき変化をもたらし得るというところに主眼点があるのであろう。(p115)
                 『目に見えないもの』 湯川秀樹 》
 「よきもの」「よき変化」は、上記の黒田先生のいう「砂金」と同じ。

《 ・一般に知ることというのは知識を増やすことと考えられています。
 しかしもちろんそうではありません。私はよく学生に、自分が癌の告知を
 されたときのことを考えてみなさいといいます。
 …あと半年を宣告されてそれを納得した瞬間から、自分が変わります。
 ですから、知るというのは、実は自分が変わることだと私は思うわけです。
・自分が変わるとはどういうことかと言いますと、それ以前の自分が部分的に
 せよ死んで生まれ変わっているということです。しょっちゅう死んでは生まれ
 変わっているのだから、朝そういう体験をして、夜になって本当に死んだと
 しても、別に驚くにはあたらないだろうというのが、有名な「朝に道聞かば
 夕に死すとも可なり」の意味ではないかと、私なりの解釈でそう思っています。
 『養老孟史特別講義 手入れという思想』 養老孟史 》
――
▼ 教養は目的であって、手段ではない。繰返し書いてきたが、
『個々人は孤独な存在。己の知っている範囲の中でしか、外と内(心)の世界
を知りようがない。だから、まず博識を目指し経験と知識の獲得を自分自身で
追求するしかない。その為には、触媒を可能な限りするしかない。「今さら」
を乗越えた先にしか、砂金は見つからない。好奇心と驚きと、感激、感動する
心(感情)に、カギが隠されている。それを見失ったゾンビが、『世間人』。
 その『世間』が、神様と日本中の大部分が敬っているから始末が悪い。
「南無阿弥陀仏」の代わりに、「ねえねえ、知ってる!」 
「和して同ぜず」は、個個が確立してないのが、共同幻想に埋没するしかない
人たちを戒めた言葉。その為に、まず博識、そして教養が必要になる。娑婆!

・・・・・・
5518,閑話小題 〜‘つれづれに’哲学について ー@
2016年04月24日(日)

世界を席捲してきた米国もピークを過ぎようとしているが、まだまだ
その力は侮れない。その文化風土の中で生まれた実用主義たるプラグマティズム
とは、如何なるものか、改めて調べてみた。{参考:「山川哲学」小寺聡編集}
   * プラグマティズムの成立

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04月24日(月)
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