ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[382821hit]

■5884,本物の教養 −3
          <人生を面白くする 本物の教養 〜出口治明 (著) > 
   * 教養とは、そもそも何か?
 「教養とは、知識、経験から養われた素養」と、考えてきた。
そのベースには、地縁、血縁、学縁の影響を受け、文化、文明と、時代背景
の影響を受ける。
 第1章の目次そのものが、その説明になる。
≪  第1章 教養とは何か? 
・人生を面白くするためのツール 
・知識は手段、教養が目的 
・「自分の頭で考えられる」ことが教養 
・バロメーターは「腑に落ちる」という感覚 
・「腑に落ちる」ことが本気を呼び起こす 
・意見が決められないのは「考え不足」が原因 
・「反対のための反対」に陥っていないか? 
・いま教養人であることが求められている 
 〜第1章「教養とは何か」からの抜粋…
≪ 教養とは何でしょうか? どうして人間には教養が必要なのでしょうか? 
 もし、そう質問されたら、私の答えは「教養とは、人生におけるワクワク
すること、面白いことや、楽しいことを増やすためのツールです」という一言
に尽きると思います。よりワクワクする人生、より面白い人生、より楽しい
人生を送って、悔いなく生涯を終えるためのツール、それが教養の本質であり
核心であると私は考えています。
「あの人はすごい教養人だ」と他人に評されるかどうかなどは、どうでもいい
ことです。教養とは、人からの評価を高めたり箔をつけたりするためのものでは
なく、自分の人生をより彩り豊かにするためのものだと思います。
ですから、教養を高めれば人生をもっとエンジョイできるのに、どうしてそう
しないのか、という逆の問いかけもまた可能です。
 日本人は、心の幅〞が不足しているように感じます。とくに戦後の日本人は
そうではないでしょうか。焦土から立ち上がって、とにもかくにもアメリカに
キャッチアップしなければという時代が長かったので仕方がない面はあります。
だとしても、関心事が経済やビジネスに偏りすぎているように思えてなりません。
 日本人も、かつてはもっと人生をエンジョイしていました。
室町時代には奇天烈な装束を身にまとった武士が大勢いました。「婆娑羅大名」
や「傾奇者(かぶきもの)」と呼ばれた人々。いまで言うパンクファッション。
日本人は元来、楽しむことが大好きな民族なのです。
 戦後このかた、そういう感覚が追いやられすぎていたのではないか。
人生をもっと楽しむ心があれば、人間的な幅が広がり、魅力がより醸成され、
個人として熟成されます。突き詰めて言えば、教養とはそのためのツールに
すぎないのです。
 教養を身につけるには、ある程度の知識が必要です。教養と知識は、不可分の
関係にあると言っても間違いではありません。しかし、勘違いしてはいけない
のは、知識はあくまで道具であって手段にすぎないということです。
決して知識を増やすこと自体が目的ではありません。
 知識が必要なのは、それによって人生の楽しみが増えるからです。
サッカーを知らなければテレビでワールドカップを放映していても面白くも
何ともありませんが、サッカーを知っていれば最高の時間になります。
知識はその人の興味の範囲を広げてくれます。それが「教養化した知識」です。
 別に興味の範囲を広げようなどとは思わない、面白いことは一つあれば十分
だという考え方もあるかもしれません。もちろん、それはそれでいいのですが、
興味の対象が多ければ多いほど、本当に自分が好きなものや、打ち込めるもの
が見つかる確度が高まります。つまり、選択肢が広がるのです。自分が本当に
好きなものは案外見つからないものです。面白いことが多いのは決して悪い
ことではないでしょう。 また、面白いことは一つで十分だと考えていると、
食わず嫌いに陥る可能性があります。食べてみたらすごくおいしいと感じる
食事であっても、食べてみなければそのよさは分かりません。≫
――

[5]続きを読む

04月25日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る