ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5879,閑話小題 〜通りすがりの人生
*「家、ついて行ってイイですか?」について行った。
2年前から、日曜日の午後には、「家、ついて行ってイイですか?」を
時どきだが見ていた。その撮影ディレクターとスタッフは、どんな人たちか、
どんな撮影カメラかをギャラリー視線で観たいと思っていた。ところが先日、
<「家、ついて行ってイイですか?」について行ってみました。>
というテーマで、声かけ場面と、ついて行った家と部屋と、人生模様を
引出すサマを、そのままの視線で写しだす、味ある切口の構成であった。
〜そこで検索すると、番組のHPに以下の案内があった〜
≪ < 終電を逃したとき、通りすがりの人から、知らない人から突然、
「タクシー代を払うから家までついていっていいですか?」と言われたら、
如何する? そして家と部屋の生活の場に飛込むドキュメンタリーがある。
テレビ東京の番組「家、ついて行ってイイですか?」です。 いったい、
どんなディレクターが、どんな言葉で通りすがりの人を説得させるのか。
「家、ついて行ってイイですか?」について行ってみました。>
をテーマで放送していた。 そのディレクター氏、いわく。
【 某テレビ局で若い男女がオシャレな家で共同生活をしながら恋愛する
番組 がありますよね。複数のイケメンと美人がキラキラした生活する番組。
あれって日常を最大限にショーアップした番組ですよね。「家、ついて行って」
は、その対極にある番組です。平凡で地味なフツーの人の生活を見る。
その100%リアリティにこだわろうと。
「家、ついて行って」は、ほかのテレビ番組と真逆のつくり方を目指しました。
台本なし、アポなし、ナレーションなし、効果音なし、音楽もほとんどなし。
だから、感情の誘導もできないし、ストーリーの補強もできない。
例えば、悲しそうな場面は、「○○さんは悲しそうだ」とナレーションを入れ
られないので、泣いている様子や「悲しい」と言う様子を撮ってくるしかない。
画面にリアリティしかない。
これまで約150人ほどの人生譚(たん)を放送してきました。
僕は「家、ついて行って」を100年後の人たちが見たとき
「ああ、平成ってこんな時代だったのか」と感じられる作品として残したい。
柳田国男の「遠野物語」のように。 座敷わらしが出てくることで有名な
「遠野物語」は、岩手の遠野地方の民話を、脚色なく丁寧に聞き書きしました。
あの本のおかげで僕たちは100年前の農村のフツーの人たちの生活や風習、
考えていたことを知ることができます。
100年後の研究者が平成という時代を知ろうとしたとき、公の部分は新聞
を読めばいいんだろうけど、市井の人がどんな家に住んで、何を持っていて、
何を食べていて―といった生活スタイルや生き様、人生観は記録には残らない。
だからこそ、「家、ついて行って」で記録していきたいですね。】 ≫
――
▼ 若い女性のADと二人、小さな撮影機を抱えて、駅前を中心に、酔った
様々な人に声をかける。そして、無防備な部屋にはリアルな人生のカケラが
剥き出しになっている。そこから、これまでの人生を引出していく。当人は
困惑しながら、しかし喜々として生立ちから今までの生き様を語る。それは
視聴者にとっての人生に重なるところがあるため、自然に惹き込まれていく。
その一部始終を三カメ(第三のカメラ=客観的視線)で捉える企画が抜群だ。
老いるに従い、帰し方を、通りすがりの人の人生のように、思い出す度に、
紡ぎ直して、静かに喜怒哀楽を繰返す日々。老人の沈黙の深さが、そこにある
とは、知らなんだ。そして、記憶が融けるように、己も呆けて、融けていく。
・・・・・・
5514,恐竜と人類どっちが凄いか ーA
2016年04月20日(水)
「人間の人生は豊かとは」を何をもって言うのか? の問題が残るが、
私が生きてきた実感は、人間は、他の動物から比べ豊かといえる。
それは、人間は雑食者で、利己主義に加えて利他的であり、人生に意義を求め、
豊かさを実現しようとする言語手段と、その記録方法を早くから身につけて
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04月20日(木)
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