ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5872,トランジション 〜人生の転機に、トランジション理論 〜6
  * 30歳辺りが最大の転機というが
 ・この論の中で、人生最大の転機を「30歳」としている。
責任と権力を持ち、力量を問われる究極の時節。目の前に次々と現れ出る
難問を一つずつ解決する日々。振りかえみれば成る程、30歳は人間として、
真に独立する分岐点である。孔子は15歳で学問の道を志し、自分なり学問の
基礎を築いたのが30歳。彼も20代は、まだ学びの只中であった。
 ・高校を卒業をし、地元から大学、就職、創業と12年近く県外で携わり、
30歳直前に実家の衣料量販店にUターン。何も知らない事業を、一つずつ、
出たとこ勝負で解決をしていたが、鞘から抜身の真剣で立ち向う感覚で、
何とか切り抜ていた。 真剣なればこそ、幸運が寄り添ってくる。 
 終戦直後、両親の必死に働く背中をみて育ったこともあり、20歳で創業を
目指す志をたて、その10年後の30歳が一番の転機といえば、そうである。
血相を変えて、一日一日を熟すしか手立てはない。そして30歳代半ばで、
本番の創業に向かうことに。
 20歳の創業の決意。27歳の父親の死と千葉郊外の創業。30歳時のUターン。
34歳の独立。46歳の?。51歳時の母親の死。そこで、還暦までの9年間で、
余命30年分を濃縮して生きると決意をし、その実行。最後は、何匹かの
ブラック・スワンの到来の結果、65歳で事業清算。その歳代の基点が30歳と
すると、納得できる。私の場合、35歳でもよいが。「節目を打て」というが、
準備万端の上で打ってこそ、「予定挫折」の良い節が出来ようというもの。
背骨は幾つかの骨が節で繋がって出来ている。「背骨を立てよ」というが、
人生にとっても、問題は、その節目と、骨の鍛錬と、栄養が必要である。
18歳からの腰痛持ちで、何とか、この年齢まで辿り着いた。今は何とか週4回
のヨガで持ちこたえているが… 
 落語の御隠居と八っん熊さんの掛け合い。御隠居目線の現在の私から
見えてくる過去の姿が、まさに八っあん熊さん、そのもの。 笑えるが、
もの哀しくもある。まだ笑っていられるから、救いがあるのか?
 「無知は罪」というが、これだけは、器量で決まる。
石ころの大きさを競っても、所詮は砂利でしかないか… 当人は必死だが。

・・・・・・
5507,恐竜と人類どっちが凄いか ー�
2016年04月13日(水)
            〜文芸春秋オピニオン。2016年の論点100〜
              〔国立科学博物館 海部洋介〕より
 人類誕生からの人類史について、ここでも何度か書いてきた。
以下は、その復習であり、簡略にまとめてある内容。その一端として私の
70年の人生を生きたが、生命史からみれば、僅かな一端でしかない微小の
己の立ち居地を垣間見ることが出来る。20億年の生命と、700万年の
人類の生命の歴史の上に、我々は存在している。
  * 地球全体に広がり人生を謳歌する人類は凄い 
≪・人類の未来というと、どうしてもネガティブな話になりがちだ。
 現代社会には、終わらない紛争、貧困、環境破壊と暗い話題がいくらでも
あるから無理はない。しかし人類が現在の繁栄に至った道を、文明史を
越えて進化の次元で辿ると、我々のとてつもない過去が見えてくる。
・人類は誕生から700万年の歴史しか持たない、自然界の新参者だ。
恐竜からみれば、この数字はまったくとるに足らないだろう。しかし
数字の大きさが全てだとは、私は思わない。
・初期の人類は、アフリカにしかいなかった。誕生から500万年もの間、そうで
あった。やがて185万年前以降に、原人や旧人のグループがユーラシアの低〜中
緯度地域に広がったが、5万年前まではそこが限界だった。
・激変が起こったのは、それからだ。アフリカで進化したホモ・サピエンス、
つまり我々の種が、大拡散を開始したのである。一部のグループは、海を越え
無人のオーストラリア大陸へ辿り着いた。 別のグループは、冬期の気温が
マイナス30度を下回るシベリア奥地に人類として初めて進出。やがてアラスカ
へ渡る陸橋をみつけて、無人のアメリカ大陸へ広がった。もう少し時代が下る

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04月13日(木)
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