ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5701,自分のための人生 〜D
『自分のための人生』(ウエイン・W・ダイアー)
* 幸福の人ほど「知的」になるのはなぜか?
幸福の人は概して「知的」である。「知的」だからこそ、幸福と言える。
知識とお金の使い方を熟知すれば、身をたすけるが、問題は使い方になる。
分類される前の中学の同級生の上位2割と、下位2割の成績の人たちの、
その後の幸福度を比較すると、その後の人生で、現象的にみてだが、比例して
拡大している。著者は、「人は自分の望むとおりに頭をよくすることができる。
才能は資質よりも、どれだけ時間をかけるかに負うところが大きい。」と、
看破する。 〜その辺りから 〜p74
≪・自分自身の基準に当てはめて考えれば、自分を知的だと思うこともできる。
事実、幸福になればなるほど人は知的になるものだ。例えば代数や書き取り
などの分野が苦手なのは、今までに行ってきた選択の当然の結果として、
そうなったにすぎない。こういう課題のうちどれでもいい、練習に十分な時間
をかけようと決めさえしたら、まちがいなくうまくなる。自分を過小評価して
いるとしたら、それはそういう考えを受け入れてしまったからだ。学校の成績
のように常に変化するものを基準にして自分と他人を比較するからである。
・こんなことを言うとびっくりするかもしれないが、人は自分の望むとおりに
頭をよくすることができる。才能は資質よりも、どれだけ時間をかけるかに
負うところが大きい。
・標準学力検査の成績基準を見てみよう。この基準が示すところによれば、
1年生レベルで優秀な生徒がとる得点を、高学年レベルでは大多数の生徒が
とっている。また、なかに他の生徒よりもかなり早く習得する生徒もいるが、
最終的にはほとんどの生徒が各学習課題を習得する。ところが、ある技能を
完全に習得するには、他人より時間がかかる生徒には、ただそれだけのことで
「不可」というレッテルが貼られてしまう。
・この点に関して、ジョン・キャロルは「学校における学習形態」の一モデル」
という論文の中で次のように述べている。
< 適性とは、学習すべき課題を習得するのに要した時間の総和である。
この公式的記述が暗に示しているのは、十分な時間が与えられれば、
どんな生徒でも課題を習得できるという仮説である。 >
十分に時間をかけ、かつ努力すれば、決心次第でほとんどどんな学問上の
技術も習得できるだろう。≫
▼ 一つのことを成すには一万時間の集中した継続が目安になる。その為には、
好きでなければ続かない。継続は進歩につながっていく。知識の蓄積から
湧き出る知恵が、自然と幸福に導いていく。
<「えっ!そんな知恵がなくても、充分幸せですよ!」に、
「両親からいただいた性格だからですよ。他人と比較しないからですよ。
知らずと幸せな仲間を選んでいるからですよ それは。」>
〜で、以下の内容に脈絡が続く。
・・・・・・
5336,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ーB
2015年10月24日(土)
一1人の時間を持て余す者は、二人の時間も持て余すー
老いの大きな問題に『孤独』がある。特に独身の場合は大きな穴が
心の中にスッポリと開いているのだろう。そのためには、自分の世界を
つくり、ダンデゥズムに徹し、孤高に生きるのも人生の一つ。
≪ ◎ 質問 =このまま一人孤独に人生を終えたくはないのです…
私はこの年になってもまだ結婚をしたことがない50歳の独身です。
仕事を離れるとほとんど人とおしゃべりする機会もありません。
飲みに行ってもほかの客とはあまりしゃべりません。
自分から心を開かなければ相手も私の心を分かってくれないということは
承知しています。会社もあと十年弱で定年ですし、その後の人生はこのまま
孤独に過ぎて、ある日部屋の中でひっそりと終わるのかと思うと不安です。
心を割った話ができる相手、できれば女性を見つけたいと思っています。
でもいままでにそのような出会いはありませんでした。
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10月24日(月)
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