ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5570,突然、余命宣告を受けました ー①
〜  『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著
 図書館の「返却コーナー」で、<あの世へ逝く力>というタイトルの本に
目が吸寄せられた。この数日、歌舞伎役者・海老蔵の妻の進行性乳癌が
報道されていることもある。70歳をこえた我身にとって、いつ何時、余命宣告
をされても不思議でない。 「まえがき」冒頭から、死に直面した著者の悲鳴
が、そのまま、言葉に転換されている。24年前、これに近い経験をした。
 将来が突然抉り取られたような絶望と恐怖感は思い出すのも憚れる。
以下は、まさに同じ感覚。特に、夜半の布団での恐怖は! 天国も地獄も、
まさに現世にあった。ここで、「時計の針が、未来ではなく終りを刻み始めて
確実に分かったことがあります。」と、実感そのままを述べている。そこで、
死に物狂いで天国巡りをして、地獄1つに、天国3つの割合にもっていくしか
なかった。 死が現実問題になると、火事場の馬鹿力が湧出てくる。で、ホテル
を過剰投資を楽しみすぎて、在庫オーバーの遠因をつくったオマケもついた。 
  〜その辺りから〜
≪ ある日病が発見され、突然、余命宣告を受けました。通っていた糖尿病
クリニックでのレントゲン検査で、「肺が黒い」と言われ、大学病院を紹介され、
ここで「間質性肺炎」と診断されたのです。肺壁が壊れていき、呼吸をするのが
困難になっていく病。助かる見込みのない進行性の難病。早ければ二年半ほどで
死に至ると知りました。混乱の中、私はペンを執って、心の動揺をそのまま書き
取り始めました。メモをとったり書いたりするのは得意な作業。
手を動かしていれば気が紛れる…。何よりも、そうしなければ精神のバランスを
保てなかったからです。最初に聞かされた医師の話や、それに対して自分が
どうショックを受けたかということも、思い出せる限り書きました。・・(略)
 時計の針が、未来ではなく終りを刻み始めて確実に分かったことがあります。
「漠然」と流れていた日々の時間が、突如、「凝縮」した時間へ転換したのです。
限られた時間をどう有意義に過ごすかを真剣に考え、自分の人生を満足するもの
にどう仕上げるか、そのことにのみ神経が集中していきました。これだけは
やっておきたいこと、何が何でも叶えたいこと、どうしても欲しい物、最後に
行きたい場所…。時間が無い、失敗できない、という緊張感の中で、優先課題が
はっきり見えてきます。死に方を考えるとは、生き方を考ることでもあります。≫
▼ 数年前に、近所の家内と親しかった友人が、この病気で亡くなった。
 家内が参列した葬式の主人挨拶が壮絶。 故人が呼吸困難になって、、
『オトウサン、苦しい、助けて!』と、泣き叫んでいたが、何もしてやれない
ジレンマ。 何度か、夢の世界に没頭し、呼吸困難になった経験があるが、
呼吸困難の苦しみと恐怖は並大抵でない。誰もが通らなければならない死に際
の断末魔の苦しみ。遠くない将来、私も通らなければ道、恐ろしい限りである。
 この恐怖感があればこそ、以来、40回の秘境・異郷旅行と、この5570回の
随想日記を続けた原動力になっていいた。 何せ、誰もが直ぐに死ぬのだから。
「いま、ここ、わたし」を生きなければ! 生まれてきた甲斐がない。

・・・・・・
5205,個々にとっての人生は、永遠である!
2015年06月15日(月)
      『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談
  * 自分は自然の一部分である
<生まれる前の記憶がなく、一人称(自分)の死をみることが出来なければ、
その人にとっての人生は最初も、最後もない「永遠」ということかも知れない>
といいうことは、各自の人生は、永遠の時空の中の一点の光ということになる。
それからして、「自分とは、自然の中の一部分」が、論理的に納得される。
≪ 佐治: メリカのネイティブの考えている神はキリスト教徒とは違って、
 神道というか、わたしたちの感覚に近いです。彼らは、人が死ぬということを
「姿はなくなったけれど、鳥になったりしている。いまはたまたまこういう

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06月15日(水)
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