ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5500,閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜③
『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
* 70歳代、特に後半は、すざましい!
「70歳代、特に後半は、すざましい!」は、医師である著者からみて、私の
同世代からみて、充分に頷ける。 数ヶ月前に70歳代になって感じたことは、
「(3年を見据えた)一年単位でしか、人生計画を立てられない」という実感。
後方から迫ってきた己の死が、真正面から迫りくるような感覚は、やはり60歳代
とは、全く違う。 人生の峠から見えてきた風景も、寒々としてきた。
〜その辺りから〜
≪ 六十代で運動して、体力をつけるのも悪くはないが、外に出てさまざまな
人と触れ合い、話し合うのは、それ以上に明るく、若返らせるはずである。
そして七十代、これはなってみて改めてわかるが、すさまじい世代である。
すさまじいとはなにか。これをあえて具体的にいうと、日々、確実に老いて
弱っていく年代、とでもいおうか。
その前、六十代は老いるとはいえ、まだ鍛えようによっては伸びる、
強くなる余地もないわけではなかった。しかし、七十代はすべて下るだけ。
あれ、こんなことができなくなった、これも無理かと、不可能なことが増える
ばかり。といって、努力しても無駄。 かくして、ここからは「諦めの時代」、
老いてやがて死ぬ、そのための準備期間といえなくもない。
こう書くと、人生の末期、暗いだけの時代、と思うかもしれないが、
そうともいいきれない。 このすべて終わりに向かって傾き出す、このときに、
とてつもない発想にとりつかれ、動き出すことがある。 たとえば、突然、
動物や植物に異様に熱中したり、今迄と全然、別の仕事に全力を注ぎこんだり、
激しい恋に溺れたり。
七十代の高齢者とは思えぬ、激しい行為に熱中する人が少なくない。
そう、わたしも七十代後半になって、突然、自らの不能、インポテンツに
ついて書こうと、思いついたけど。これも、七十代の狂気かも。
賀寿のなかで、七十七歳を喜寿としているが、なにをやらかすか知れない、
狂寿としたらどうだろう。とにかく人生、長く生きてみるとそれなりに
妙味に富み、面白いものですよ。 ≫
▼ 夜半に目が覚めて、フッと自分の死を考えることがあるが、ここにきて、
それが、リアルなフラッシュの塊と、生きてきた人生が小さな丸=(。)
に凝縮して、それが更に点(.)になり、無限の極小になり、消滅していく
イメージが出てくる。 そして我に返ると、その微小の人生が愛しく思える。
その点の中には、両親、亡くなった兄姉、因縁のあった知人たち、恩師が
リアルに生きている。そして行蔵が詰まっている。 我が人生、万歳。
我が両親、万歳。我が恩師、万歳。我が因縁在りし恩人たち、万歳。
残された人生に、万歳。 考えてみれば、『人生はそのものが狂寿』である。
「誰の?」「すべての!」 だったら、せめて心の底で、狂喜乱舞したら?
考えたことが無かった? なら、考えてみたら! 考えている? 本当に?
バカバカしい? バカになってみてから言ってみたら! で、『男はつらいよ』
を見たら!「泣いても笑っても、同じ空」。「狂っても正気でも、同じ空」。
「エライコッチャ、エライコッチャ、同じアフォなら踊らな、ソンソン」か。
それが面倒だから、ウタタネ寝をしている。それもありか! で、残された
時間を、どうしようか? うたた寝で、心の中で狂喜乱舞か、これまでの
人生で培った材料を駆使して、燃焼するか? それもこれも、今さらか。
・・・・・・
5135,知の逆転 〜�
2015年04月06日(月)
ー知の逆転ー
* 帝国主義の終わり ーA
対談相手 〜ノーム。チョムスキー
名前は聞いたことがあるが、成るほど面白く、鋭い。
〜まず、チョムスキーの人なりと、学説から
≪・ノーム・チョムスキーは、プラトン、フロイト、聖書と並んで、最も引用
回数の多い著者であり、「生きている人の中でおそらく最重要な知識人」
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04月06日(水)
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