ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5408,2016年 新年に ー③ 日本衰退は1985年から始まった ーB
            『グローバリズムという病』平川克美著
   * 日本衰退のすべては1985年から始まった ーB
 バブル崩壊は、第二次大戦以来の敗戦であり、以来、衰退が続いたまま。
 アメリカのいうがまま、バブルを引起し、その結果のバブル崩壊である。
 欧米系の金融機関は、これをチャンスに、株式などで大儲けをした。
 経済支配下にある属国の手を捻っただけだが、日本にとって塗炭の
 苦しみが待っていた。 
≪ アメリカ側は日本企業の競争力の原泉である、日本の銀行の融資力を殺ぎ,
つぎに日本の産業全般に行きわたっている構造、とりわけ関税障壁をターゲット
にした構造改革を日本側に迫った。「貿易の不均衡をなくし、日本が経済発展
するため」という表向きの形容とは違って、このときのアメリカにとっては
日本の産業力はまさに「死活的脅威」であり、この脅威を取り除くための
「経済戦争」を仕掛けようとしていた。 ルール変更であった。
日本は当時空前のバブルに沸いていた。銀行もまた多額の不動産を抱え込んで
おり、それを資産計上していた。それゆえに前記の世界の銀行ベストテンに
六行も入るという状況がうまれていたわけである。
 1988年、スイスのバーゼルにおいて、銀行の健全化に向けての国際基準が
策定されてた。それがBIS規制である。国際業務を行うためには、8%を超える
自己資本比率が必要であるということが定められた。
表向きは、金融システムの健全化ということであった。
 1991年2月には、日本のバブルが崩壊する。そうなると、含み資産を自己資本
に計上していた日本の銀行は、時価会計の適用によって自己資本率を一気に
悪化させる。 日本の銀行が採りうる措置は二つしかない。
ひとつは、総資産を減ずること。
ひとつは、複数の銀行を合併・統合させることで自己資本比率を上げること。
 実際に何が起きたのか。それを時系列に眺めてみよう。
盤石だった日本の銀行は、BIS規制と、それに続く金融ビッグバンによって合併
統合・倒産を繰り返し、さらには株式を持ち合っていた生保会社の大型倒産が
続いた。銀行、保険会社、政府が三位一体となって落伍者を出さない日本の金融
システム、つまり護送船団方式は、このとき完全に分断され、崩壊していった。
普通は、こんなことは起こらない。ましてや短期間のうちに、これほどの規模
で銀行システムが変容するなんていうことが、市場の原理だけで起きることは
ありえない。
一九九六年四月、三菱銀行と東京銀行が合併
一九九九年四月、国民銀行破綻
     六月、東京相和銀行破綻
     八月、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行が、事業統合を発表
     八月、なみはや銀行破綻
    一〇月、新潟中央銀行破綻、
    一〇月、住友銀行とさくら銀行が合併を発表   ≫
ーー
▼ 1991年のバブル崩壊より7〜8年後に証券会社の倒産、大手銀行の倒産、
大統合になった。とすると、リーマンショックを大地震に例えると、今年辺りが
津波が到達する時節になる。それが、世界株式市場の暴落として日本か、欧州、
中国発になるのか、津波と違い予測不能。私は、その二年半後に、自然災害の
東北大地震と共に沈んでしまった。ISのテロをカタチを変えた格差間の戦争と
すると、既に始まってしまった? 戦争は、超保守で体制を固めないと、国の
維持が難しいためか、怪しげな風が先進国に吹き出してきた。

・・・・・・
5043,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー6
2015年01月04日(日)
         『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆(著)
  * 捕食されてきた人間
 人間は肉食や草食もする雑食だが、猛獣の餌として捕食されてきた。
そこには食うか食われるかの長年かけた弱肉強食の熾烈な闘いがあり、
仲間同士の知恵を駆使をして生抜くしかなかった。当然、人間どうしの肉食
もあった。ボルネオや、南米など未開の地では、ごく最近まであった習慣。
人は狩猟をするか、されるかの瀬戸際で、集団で知恵を身につけ、言葉と

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01月04日(月)
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