ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5407,2016年 新年に ー②
   * 日本衰退のすべては1985年から始まった ーA
 昨日、とりあげた「すべては1979年から始まった」を、日本経済の20数年
にわたる長期凋落は、プラザ合意によるバブルと、崩壊の上に、BIS基準
の策定があった。それはアメリカの戦略的経済政策の結果であることは周知
の事実。『グローバリズムという病』に、その辺りを簡明に述べている。
「すべては1979年から始まった」を世界規模の視点なら、日本の視点と
すると、「日本衰退のすべては1985年から始まった」ことになる。
バブルと、バブル崩壊はアメリカが仕組んだ経済戦争の結果であった。
  〜その辺りから〜
≪ 東西の争いの敵がソ連と中国なら、西の内側の脅威が日本と、
 1981年に就任したレーガンが、戦略として打ちたてた。
1985年9月22日、G5(先進五か国蔵相・中央銀行総裁会議)がニューヨーク市
のプラザホテルで行われた。日本からこの会議に出席したのは竹下登(当時)
大蔵大臣だった。この会議により、それまで1ドル235円程度であった円ドル
為替レートは、一年後にはドル150円台にまで円高に誘導される結果になった。
ロナルド・レーガンは、それまでの民主党の政策を転換し、市場原理と民間
活力の重視、社会保障費と軍事費の拡大、減税という企業寄りの政策を打ち出し、
経済拡大戦略をとった。いわゆるレーガノミクスで、小さな政府、市場原理
主義・軍事的大国主義である。この結果、アメリカ経済は拡大し、アメリカ企業
は大いに潤ったが、貿易赤字と財政赤字の増大という双子の赤字がアメリカ
経済に重くのしかかっていった。この双子の赤字の一方である貿易赤字を解消
するためにアメリカへの最大の輸出国である日本が標的とされたのである。
そのひとつが戦略上のプラザ合意である。プラザム合意は、ドルの安定が
名目ではあったが、直接的には日本の経済力という脅威を取り除くための戦略的
な目的に沿って行われたわけである。しかし、トヨタをはじめとする日本企業は
驚異的な改善努力によって競争力を維持し続け、アメリカの貿易赤字は解消
には向かわなかった。・・ 〜つづく   ≫
▼ 改めて考えると、アメリカの植民地の締め付けになる、TPPは、上記の
 流れに沿う経済戦略の一環になる。とはいえ、軍事的に、経済的に、従うしか
ないのが日本の地政学的な運命である。東京オリンピックも、アメリカの
後押しがあればこそ、TPPの条約を推し進めるための、国民への目くらまし
に丁度よいイベントである。なに故、この状況下で、オリンピック? 
というより、その後である。韓国か、中国の生活レベルになるだけだが。
 としても、せめて心はポジティブであらねば!
・・・・・・
5042,ポジティブ・サイコロジー ー⑧
2015年01月03日(土)
     『 ポジティブ・サイコロジー』クリストファー・ピーターソン(著)
  * つれづれに ー危機に瀕したときこそ最高の状態が湧出る
・ 節目時(危機)の―危機を乗越えようとした時ーこそ「人生で何が本当に
 大切なのか」という新たな認識と、これに従って行動する心構えが形成される。 
 その真っ暗闇の時が一番、良いときであった。最も辛く、苦悩の底にこそ、
 ベストの何かが湧き出てくる。 母親が嫁いできた頃、重なる小姑の虐めに
 耐え切れず、実家に帰った時のこと、実母に「一番辛いとき(いま現在)
 が、実は人生の一番良いときなのよ!」と諭された、と聞いていたが、人生を
 振返ってみて、成るほどと実感する。凝視をすると、最も辛い中に、最も楽しい
 ことが、裏腹に張り付いていた。その辛さの中から、心構えのベースの変換が
 進んでいた。反対に、一番面白く脂の乗っていた時に、重い状況、苦しいこと、
 辛いことが背景にあった。勢いが、それを感じさせなかっただけ。
 幸・不幸は裏腹!だから、面白いのである。
・「必要なものはルックスとたくさんのお金だけ」という信念に、私たちは
 深く取り込まれている? たしかに文化は良い人生の条件について熟知して

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01月03日(日)
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