ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5401,自分史の書き方  ー⑪
         『自分史の書き方』立花 隆(著)
   * 人生を4つの軸で表現 〜山本和孝さんの年表
 小学校時代の恩師の西澤元正先生の『私の履歴書』が、手元にある。
以前、新潟駅前で経営していたホテルに泊まっていただき、古町を飲み
歩いた時の御礼の手紙に同封された8頁の小冊子。時系列の箇条書で、
時代ごとの主な出来事を加えた見事な履歴書である。これで、大筋の
先生の人生を垣間見ることが出来た。ここでは、年表にして分類すれば、
より明快になると導いている。これはこれで、シンプルでよい。
 〜その辺りから抜粋し、考えていく〜 
≪ 具体例を今度は自分史年表とともに紹介する。
 最初の例は、Yさん(当時62歳)法政大学を 1969年に卒業する前に、
林周二『流通革命』の影響を受け、流通業に身を投じた。
東光ストア(現在の東急ストア)に入社。企画調査部人事・雑貨部長など歴任。
湘南店長を経由して、取締役までつとめた。子会社の東光ドラッグの社長を
2年間つとめたところで退任。96ページの図に示すように、山本さんの年表
4つの軸から成り立っている。
・「その年毎の主な出来事」と
・「よのなかのヒト・コト」が、社会一般の出来事。
・「半径5m以内の人達」が、家族、先生、友人など個人的に深い
  関係にあった人々との間に起きた出来事。
・「私ごとですが」が、個人史のメモである。
このうちで「半径5M以内の人達」というのは、山本さん独特のカテゴリー
だが、面白いコンセプトだと思う。人間にはそれぞれの文化によって特有の
(あるいはその個人によって特有の)、「他者を許容できる近接距離」という
のがあって、その距離内に他者が近づこうとすると、思わず身を引いて、相手
との距離をその距離以上に保とうとするものである。反対に必要以上にその
距離をとろうとすると、人づきあい悪い、よそよそしい人間と見られたりする。
この距離感覚は、個々人によって、また生まれ育った文化によって、著しく
ちがうもので、それをテーマとして書かれた、文化人類学上有名な学術書
(エドワード・ホール『かくれた次元』みすず書房)もある。日本人は、挨拶を
するにしても、直接の肉体的接触を避けて、ちょっと離れて頭を下げあう程度
にするのが普通で、欧米人のように、互いに抱きついてバグしあったり、
頬ずりしあったり、接吻しあったりなどはしないのが普通だ。
 そういう文化圏において、5メートル以内というのは、どういう距離感かと
いうと、「顔認識、表情認識、ことばによるコミュニケーションが簡単に成立
する空間」といえるだろう。 幼稚園、小学校などでの「小教室的コミュニ
ケーション」が成立する空間といってもいいかもしれない。人間関係でいえば、
家族ないしは、「家族的親しみをもって接しあえる相手との共有空間」といった
感覚だろうか。第3章で詳しく述べる「人間関係クラスターマップ」を作るとき、
各時代で自分といちばん親しくしていた人間をまとめて入れておくべき
「最近接クラスター」の人々といってもいいかもしれない。どう名前を付ける
にせよ、どんな人にも、いつでも何でもしゃべりあえる仲の人がいるものだが、
そういう仲の人との共有空間といっていいだろう。山本さんの年表は、自分で
描いたイラストと、各種画像資料を駆使してのコラージュがなかなかうまく
できていて、簡略ながら、全体がよく見渡せて楽しめる年表になっている。≫
▼ 当時、私も林周二『流通革命』と、渥美俊一のシリーズ本の、
『流通革命への道』を読んで、流通業に身を投じた一人。知っていたら当時
の流通業の現状を知っていたら間違いなく避けていたが、無知の強さか、
愚かさか?「面白かった!」とは、あと講釈でこそ言えること。
「お陰で幅広く玉石混合の社会を知ることになった」としか言いようが
ない世界。当時の流通業は、「未開の暗黒の大陸」「激流の世界」と言われ、
百貨店や、専門店が格上で、スーパーなど最低の業種と見られていた。
その激務は今から考えても想像を超えていて、思い出すのも憚れるほど。

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12月28日(月)
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