ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4969,生まれたことをどう考えるか
              「生まれたことをどう考えるか 」船木 英哲 (著)
   * 「生まれたことをどう考えるか」は、人生の根本的問いかけ
 学生時代から、この根本問題を考えてきたが、そう簡単ではない。しかし、「何を馬鹿な!猿が
生まれてきたことに意味があるかを考えるのと同じ。意味など後付の理屈」と決め付けることもできる。
この問いかけは、「人生を如何に生きるか」に通じる。 フランクルの「人は良く遊び、良く働き、良く
学ぶため生まれてきた」を一番気に入っているが、これに「良く休む」を加えると、ベストに思えるが。
実際、生まれてきた理由などないはず。
  まずは、ーアマゾンの内容説明よりー 
《 生まれるとはどういうことか、(生まれ、生きる主体である)心とは何かの問題を追うことで、
 人間や世界の存在を考察し洗い直し、生まれたことに意味はあるのかどうか、意味があると
すればそれは何か、どういうものが考えられるのかの問いに迫ったものである。・・(本文より)》 
  ーその一部を抜粋してみるが、最初から最後まで、似たような内容が続くー
≪ ◇ほんのわずかな時間、意図的に呼吸をしないことはできるが、わたしの心臓や肺が動き、
わたしが呼吸するということは、わたしが意識的に作り出していることではない。わたしが
眠っている、わたしの意識のない間も、心臓はわたしの体の中で規則正しく動きつづける。
わたしの意識の状態に関わりなく、呼吸、さらに体温調節、消化、酵素の分泌など生命維持に
必要な営みは行われている。生きているということは、生きている各人の意識とは別なところで
成り立っている。自分が生きているということは、根本的に自分が作り出しているようなことではない。
◇ わたしは生きるか死ぬかを選択し、その選択通りに実行することができる。もちろん自ら死ぬと
いう選択、実行には、多大な困難が伴うであろうが、場合によっては、意を決し行うこともできる。
わたしは現在生きる選択をし、骨を折りながらそれを実行しているが、だからといって、わたしは
自分の力で自分の生からすべて作り出しているのではない。何かによってわたしが生きられる
ような状況があるから、わたしは生きてゆけるのであり、生きるか死ぬかの選択ができるような
状況にもあるのである。
◇ わたしが他の場所に生まれず、わたしの生まれた地に生まれたこと、100年前や500年前
ではなく、わたしの生まれたときに生まれたこと、他の人間を親とせず、わたしの両親のもとに
生まれたこと、さらには、わたしが男であり、日本人として生まれたこと、他の生き物としてではなく
人間であったこと、また、他ならぬこのわたし、この自分であり、わたし固有のDNAをもっていること、
死すべきものであることなどは、わたしの作り出したことではなく、わたしに与えられたものとして
わたしにあることである。わたしは今挙げたような制約の中、抗えない何かで生きることを決定
付けられている。生まれること、そして、どういうものとして生まれるかは、生まれる者の自由には
ならない。そして、わたしはいずれ死ぬように決定付けられている。・・≫
 ▼ 生まれてきたことが偶然か、必然かの問題もある。この論は、唯心論の人生感を面白半分に
読むに丁度良い内容か。偶然生まれ、必然的に死んでいく、ただそれだけと割切れないのが
人生である。自分の人生は自分しか生きることが出来ない。その自分の世界こそ、全てと考えれば
著者の言わんとすることが理解できるが。「ただ、生まれ、子づくりを楽しみ、死んでいくだけ」で、
充分と思えば充分だが。それでも、求めただけ、生まれ生きたことに意味が出ることも確か。
ところで、『なぜ、自分は生まれ、生かされたのだろう?』
・・・・・・
4602, 閑話小題 ーまず千円だけ持って買い物に!
2013年10月22日(火)
  * 年金暮らしの知恵 ーまず千円を持って買い物に行きなさい!
エッセストの岸本葉子の『ちょっと早めの老い支度』の中で、対談相手のファイナンシャル・プランナー

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10月22日(水)
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