ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4929,パワレルな知性 ー7
     * 多文化共生社会の礎を築く力、とは      『パワレルな知性』鷲田清一著
 討議をし、物ごとの両義性をわきまえた対話(ダイアローグ)の中から、考えを変えていくことこそ、
多文化共生社会に必要となる。そのためには、「聴く力」と、人の気づきを「待つ力」が必要という。
自分の殻を自覚し、それを壊しつづけるため対話を続けること! ただし真当の対象と! 
ーその辺りからー
≪ 「多文化共生」とは、外国人との共生にかぎったことではない。たとえば、現代においては、
さまざまな専門家の知見はきわめて先進化し、細分化されているため、専門家と一般市民の
間には「異文化」といってよいほどの間隔がある。医療、地域環境、食の安全の問題など、
どれをとっても、最先端の専門家の知見は、素人が聞きかじっただけではわからないほど
高度化している。 だからこそ、専門家と非専門家のコミュニケも、じつは「多文化共生」の課題の
一つなのである。 そのために不可欠なのは、対話である。
ただし、それは「ディベート」ではなく「ダイアローグ」としての対話。
ディベートとダイアローグの違いについて、平田オリザが、次のようにわかりやすく教えてくださった。
< ディベート(討論)においては、対話の前と後でじぶんの考えが変わったら負けだ。
逆にダイアローグでは、対話の前と後でじぶんの考え方・感じ方が少しも変わっていなかったら、
対話をした意味がない> と。すべてを白と黒で割りきり、正しいことと間違ったことを峻別
しなければ気が済まない思考スタイルの持ち主は、異なる文化や思想をもつ相手とディベートは
できても、ダイアローグはできないだろう。
 ただし、ここでいう「ダイアローグを通じて考えを変える」とは、無節操に自説を曲げることではない。
じぷんの考えを絶対視せず、別の視点、他者の視点からも考える複眼的な柔軟さをもつこと、
ひいては、物ごとの「両義性」をわきまえ、一つの単純な見方に凝り固まらないことである。
 そして、これからの多文化共生社会を生きてゆくうえで、ダイアローグとしての対話をする能力は
必須のカになってゆくだろう。その能力をそなえた人こそ、唯一これからの時代の「熟成した市民」
なのである。 では、真の対話力を鍛えるために何をすればよいか。抽象的な言い方になるが、
「聴くカ」と「待つカ」を鍛えることから始めるべきだとわたしは考えている。いまの社会の評価制度に
おいては、人の話を聴くこと、人の気づきを待つことは、能力として評価されない。
しかし本来、「聴く」ことも「待つ」ことも、広義のホスピタリティ(人をもてなす)の中核をなす
大切な営みであるはず。それは一言でいえぱ(他者に)「時間をあげる」ということ。》
▼ ゼミの教授がそうだった。まず、自分で考えること、人の意見を聞くこと、気づきを待つこと。
 真なる知恵は、内側から涌き出るまで、それに気づくまで、考えて考えて、悶絶をした後でこそ
出るもの。決断の前にしなければならないことと同じ。「聴く力」は、人だけでなく、読書を通して
著者のいわんとする意を聴く力もある。更に心の奥底の声を聴く力も、それにあたる。
知恵は、パワレルの知性の礎から生まれ出る。
・・・・・・
4562, ポタリ、ポタリ、ポタリかな!
2013年09月12日(木)
 4月〜11月の8ヶ月間、毎朝一時間、4年続けて雨の日以外、合計一万キロ以上も
乗り続ければ、自らをポタリスト(ポタリング=自転車散歩)と宣言してよいだろう。 
4年前になるが、「電動アシストのMTB(マウンテンバイク)が、格安で、スポーツチェーン店から
通販サイトで売り出される」という新聞記事を読み買うことにした。 そして乗って仰天! 
ママチャリを年に1〜2度しか乗ったことのない私が、その日を境に、冬季間と雨天以外は、
ほぼ毎日12キロは乗っている。 自転車で15分の距離に信濃川があり、二つの大橋を
一周して帰ってくると丁度一時間、早朝の運動に最適である。ある本に、「江戸時代に舟に
車輪をつけた陸舟車というのが試作されたのが第一号」とあった。

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09月12日(金)
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