ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4927,パワレルな知性 ー5
    * 専門主義と、教養       『パワレルな知性』鷲田清一著
 人生を振返ると、あらためて教養の必要性を感じる。仕事や、目先の事象に影響する
経験や知識でない純粋に知っておくべきことがある。古典文学、芸術、音楽、大自然の
景観に感動することや、世界の果てから、あらためて現在の自分を振返ることも、
教養である。その積み重ねが、複眼で問題を見ることを可能にする。
 見識が狭いと、その枠内でしか考えることが出来ない。  ーその辺りからー
≪ 学者や、専門家は、ながらく、みずからの知的努力を一つの専門領域に絞り、
専門外の領域に対しては、越権行為としてみずから禁じてきた。逆に、専門外の意見は、
受け入れようとしなかった。しかし情報化の時代に、そんな態度はとれなくなってきた。 
・・・協同するプロたちにとって、組む相手はいずれも、じぶんの専門領域からすれば
アマチュアだということだ。とすれば、ほんとうのプロというのは他のプロとうまく共同作業が
できる人のことであり、彼らにじぶんがやろうとしていることの大事さを、そしておもしろさを、
きちんと伝えられる人であり、そのために他のプロの発言にもきちんと耳を傾けることの
できる人だということになる。一つのことしかできないというのは、プロフエッショナルではなく、
スペシャリストであるにすぎない。
 このことが意味しているのは、ある分野の専門研究者が真のプロフエッショナルで
ありうるためには、つねに同時に「教養人」でなければいけないということ。「教養」とは、
一つの問題に対して必要ないくつもの思考の補助線を立てることができるということ。
いいかえると問題を複眼で見ること、いくつもの異なる視点から問題を照射することが
できるということである。このことによって一つの知性はより客観的なものになる。
そのためには常日頃から、じぶんの関心とはさしあたって接点ない思考や表現にふれるよう、
心懸けていなければならない。じぶんの専門外のことがらに対しいつも感度のいいアンテナを
張っていること、そう、専門外のことがらに対して狩猟民族がもっている感度の良さが必要である・・≫
▼ 穴を深く掘ろうとしたら、間口を広くしなければならない。その間口の広さが、知識の幅になる。
ここで、スペシャリストとプロフェッショナルとの違いが分かりやすい。そのために、人の話を聞くこと、
本を読む、何事にも興味を持つ、一流のものに接する、とにかく変化する、など長年かけた習慣が
必要になる。情報化の時代、専門主義では大波に一瞬で流されてしまう。それにしても
我が教養の少なさを実感する。これも自覚できるか、出来ないかの違いでしかないが! 
高学歴ほど、それが分からないから始末が悪い! 知れば知るほど、知らないことが
多いことに気づくはずなのに、である。知れば知るほど、膨大な未知の世界の存在に
気づくはずなのに、である。 専門分野も、掘り下げれば下げるほど、専門外の知識が
必要になって然るべきだが? 掘り下げが中途半端だから、視野狭窄になる?
・・・・・・
4560・横尾 忠則の老人論 ー3
2013年09月10日(火)
 「猫背の目線」横尾 忠則 (著)
    * コスプレの公開制作が面白い!
 コスプレとはアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮する行為を指す。
画家が、自分の描く風景の登場人物のコスプレで公開制作とは面白い。これまで色いろな
職種を経験してきたが、制服を着た当初はコスプレのような感がした。それも数日で
同化するから不思議。それは事業も同じで、無我夢中で取り組んでいるうち、
その機能になってしまうもの。人生もコスプレのように、服装も心も身体も全身仮面で
時節ごと付け替えているに過ぎないのではないか。化粧と服装も、自分が主役のTPOSに
合わせたコスプレ? ギャルとか、キャバクラ嬢の見なりは、その典型・・
  ーその辺りの箇所からー
《 1980年代にさしかかった頃、グラフィクデザインから画家に転向したが、当初アトリエが

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09月10日(水)
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