ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6782,閑話小題 〜「美」を感じる心が魂 −2
  触れ合いと愛の交流がなければ.』

   −−−−−−−
【それでも人生にイエスという
        (春秋社,V・E・フランクル)】

『 私たちが「生きる意味があるか」と問うのは,はじめから誤っているのです。
 つまり,私たちは生きる意味を問うてはならないのです。
 人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。
 私たちは問われている存在なのです。私たちは,人生がたえずそのとき
そのときに出す問い,「人生の問い」に答えなければならない,
 答えを出さなければならない存在なのです.
 生きること自体,問われていることにほかなりません.』

『 生きるということは,ある意味義務であり,たったひとつの重大な責務なのです.
 たしかに人生にはまたよろこびもありますが,そのよろこびを得ようと努める
ことはできません… よろこびはおのずと湧くものなのです.しあわせは,けっして
目標ではないし,目標であってもならないし,さらに目標であることもできません.
それは結果にすぎないのです.』

『 私たちは,いつかは死ぬ存在です.私たちの人生は有限です.私たちの時間は
 限られています.私たちの可能性は制約されています.こういう事実のおかげで,
そしてこういう事実だけのおかげで,そもそも,なにかをやってみようと思ったり,
なにかの可能性を生かしたり実現したり,成就したり,時間を生かしたり充実
させたりする意味があると思われるのです.死とは,そういったことをするように
強いるものなのです.ですから,私たちの存在がまさに責任存在であるという裏には
死があるのです.』

『人生に重みを与えているのは,ひとりひとりの人生が一回きりだということだけで
 はありません.一日一日,一時間一時間,一瞬一瞬が一回きりだということも,
人生におそろしくもすばらしい責任の重みを負わせているのです・
 その一回きりの要求が実現されなかった,いずれにしても実現されなかった時間は,
失われたのです.「永遠に」失われたのです.しかし逆に,その瞬間の機会を
生かして実現されたことは,またとない仕方で拾われて現実になったのです.』

『 肉体がなくなってもなくならず,私たちが死んでもなくならないもの,
 私たちの死後もこの世にのこるのは,人生のなかで実現されたことです.
それは私たちが死んでからもあとあとまで影響を及ぼすのです.』

10月09日(水)
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