ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6078,閑話小題 〜自助論より ―情報倉庫
ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには
・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレター
を置いていってくれた〕返事が壁に書かれていた。
・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーション
をしていた。
・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。
・ポンペイの街には400軒の店があった。 24時間営業の居酒屋があった。
その居酒屋の奥の部屋でゲームと会話をしている絵が残されていた。
・食料品店の壁には、掛け売りのメモが書きこまれていた。
家計簿的なメモもあった。
・果物屋には桃が売られていたメモがあった。 等々である。
メモから、当時の変化がうかがい知ることが出来る。当時のローマ帝国の
政策の大きなものとして、パンと、サーカス(街には必ず円形劇場が
つくられていた)を庶民に与えることであった。AD・54に17歳で皇帝に
なったネロが、その政策を更にエスカレートさせていった。
そのためか、贅沢の限りをつくす考えが一般にまで浸透を始めていた。
その頃のメモに〔今を楽しめ〕というのがあった。
それがエスカレートしたのかタブーのメモもあった。
・下品の言葉を慎むように
・他人の妻には手を出さないこと
・食事をしていて、着物を汚さないように
宴会場の壁には、酔っ払いの落書きに
〔とことん飲むぞ!〕というものもあった。
富める者と貧しいものとの格差が鮮明になり始めてきていた。
そして、貧しい者の荒んだ心がそのまま落書きになっていた。
〔あの男に災いあれ!」当時の円形闘技場の落書きの中に「闘技場の外で
多くの人同士が剣をもって争う姿」があった。試合を見ていた同士が喧嘩に
なって殺しあう事件が起こったのだ。普段の生活が、火山で時がそのまま
密封され生々しい世界が奇跡的に今に多くを語りかけている。
−この私のポンペイのシリーズはまだまだ続くー
11月03日(金)
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