ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5928,閑話小題 〜フィリッピン殺人事件
* 老いについて ーつれづれに
定年とかで現役を退き御隠居暮らしになるのが第二ステージとすると、
寝たきりとか痴呆症になって病院などで誰かの世話になる時期が、第三ステージ
になる。第二ステージが60歳辺りなら、80歳辺りだろう。それまで大よそ
半数が亡くなるので生き延びた者には厳しい現実が待っている。
寝たきりなら、一日一生のような日々を過ごすしかない。人間は生きてきた
ように老いていくのである。第二人称の死を身近でみる限り大往生は少ない。
あるのは不幸にしか思えない死。そのため私たちの社会は嫌老が基本になって
おり、老化を遅れさせるか、隠すことが善と捉えられている。老いの肯定など、
あまり聞かない。 その死に現実問題として日々近づいている老人の心も肉体
も歪まない訳がないと割り切った方がよい。この本は、その歪んだ老人を
真正面から光?を照射している。そうこうみると最後は自分だけの孤独に慣れて
おく必要がある。人間、「人は人、我は我、されど仲良く」が基本。
相手に何かを求めないで、独りで趣味を楽しむのが理想的。古来から社会は
老いを嫌い、可能な限り社会の隅に置いてきた。しかし医学の進歩により
平均年齢が日本では80歳をゆうに超えてきた。定年後、平均20年以上も
生きていかなければならない。それは有難い反面、社会的弱者としての長い
人生が待ち受けていることになる。世の中は青年と壮年を中心に回っている。
老兵は静かに去らなければならない。引き時を見失うと憎まれもの世にはばかる
ことになる。それを自覚出来ないから始末が悪い。老いることは、絶望に近い
意味を含んでいることを忘れないこと。引くべき時には引かなければ。
人生も見切り千両である。歳を取りそこねる人たちは、その逆の漫然と生きて
いる人たちをいう。人生は最期は独り静かに逝くしかない。歳を得たが故の
楽しみを見つけ独り楽しむ、それが良い老い方になっていく。 この本と、
「嫌老社会」長沼行太郎著ーを読んで、ジックリ?老いを見つめると、
背筋が凍る思いになる。やはり一日一生、一期一会で、日々、瞬間瞬間を生きる
しかないということか。娑婆から早々、一歩身をひいて鮮明に見えてきたことは、
世界が大きな断層の真っただ中にあることと、自分の年齢の微妙な立ち位置である。
地球見学の最期は、こんな風景だった。ネット社会など情報化社会の劇的進化と、
それに伴なう社会的激変、そして、地震などの地殻変動、どれもこれも、想像を
遥かに超えたことばかりである。そうこう考えると、長く生きてきたのである。
あと10年が、更に・・
06月08日(木)
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