ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5907,閑話小題 〜漫画世界の娑婆
▼ 我々にとっての疑問、悩みを歴史上の哲学者が答える形式は分かりやすい。
 我々が日常で悩んでいることや考えていることは、全て過去の哲学者が考えて
きた一部の悩みでしかない。19人は哲学者の中でも選りすぐりの人たち。
彼らのいっている真理は現在でも、そのまま通じること。最近、気づいたことは、
私の人生はニーチェに大きく影響されていたようだ。この生活者としての生の
内面の疑問に19名が答える形式は哲学を身近に引き寄せる。
残されて人生、とにかく考え続けるしかない。
  ・・・・・・・
3705, ジャズについて −4
2011年05月18日(水)
              ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
 1920年代に「ビッグ・バンド・スタイル(4人位のバンド編成が、
15人を超える大編成)」が受けるようになった。その巨人が、あの
デューク・エリントン。ジャズの世界を知れば知るほど、面白い。
  * ビッグ・バンド・スタイルの流行
【 ジャズの中心がその生誕地ニューオリンズからシカゴに移っていた
 二〇〜三〇年代、ニューヨークやカンザス.シティでは、大編成による
ビッグ・バンド・スタイルのジャズが流行した。トランペット奏者、サックス
奏者、トロンボーン奏者がそれぞれ四人程度、それにピアノ、べース、ドラム、
ギター奏者が一人ずつの編成し、クラシックの楽団には比べるべくもないが、
それでも、一五人を超えるメンバーからなるビッグ・バンドはニュー・
ーオリンズ・ジャズの編成(一般的にはコルネットット、トロンボーン、
バンジョー、ピアノ、ベース、ドラム各一人)に比べればはるかに大規模
だったし、現在でもトリオ(ピアノ、べース、ドラム各一が基本)か、カルテット
(ピアノ、べース、ドラム各一にトランペットかサックスが加わる)がジャズ演奏
の主流であることを考えれば、大編成と呼んでもいいだろう。 
そのビッグ・バンド・スタイルを確立させたのは、フレッチャー・ヘンダーソン
(一八九七〜一九五二)。しかし、ニューヨークの黒人居住区であるハーレムの
ポールルーム(ダンスホール)やクラブを拠点に活躍したビッグ・バンドの巨人
といえぱ、デューク・エリントン(一八九九〜「九七四)をおいていない。 
本名エドワード・ケネディ・エリントン(デュークは公爵という意味のニック
ネーム)は、あとで触れるマイルス・デイビスに、「あらゆるミュージシャンは
彼に感謝を捧げる日を持つべきだ」といわしめ、フランスの作家ポリス・ヴィアン
をして、小説の登場人物に、「かわいい女の子たちとの恋愛と、デューク・
エリントンの音楽。それ以外は消え失せたっていい。醜いんだから」と語らせた
人物である。「A列車で行こう」「黒と茶の幻想」「ソフィスティヶイテッド・
レディ」「サテン・ドール」・・・。ジャズ・ファンならずとも耳にしたことが
ある名曲.名盤を数多く残し、自らもピアン奏者であったが、彼の真の楽器は、
自分の楽団そのものだったといっていい。アーム・ストロングと同じように時代や
国に影響を与えた彼は、アームのソロイストとは対照的に、優れたバンドリーダー
であった。エリントンにとって、バンドのメンバーはさながら絵の具のようであり、
それぞれ個性という色を混ぜ合わせて、最終的には「エリントン風絵画=楽曲」
に仕上げることに長けていた。】
▼ そうこうジャズについて知ると、学生時代に、こういう本があれば、
 もっとジャズ好きになっていた筈である。エリントンの70年の録音された
「ニューオリンズ・スイート」は、その地と縁もゆかりもない彼が、ジャズの
発祥の地に敬意を表したアルバム。アメリカ発の魂の歌と言うことができる。

05月18日(木)
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