ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383114hit]

■5847,閑話小題 〜大相撲の砂被りの茶色の羽織の人たち
 一人一人の人生が一種の無駄である。」とか。
・「我々には何十年という時間が与えられてしまっている。・・どうあがいて
 みたっって、逃れられない人生という檻のなかに?我々は産み落とされて
 しまったからには、檻の仕組みや外側がいかようであれ、にもかかわらず、
 その檻の中で 一舞いしてみせる?しかないではないか」
・「人生に、意味なんて無い。けど、何かに意味を見出さないと人は生きて
 いけない。だから、自ら意味を作る。それはまるで、無神論者が祈る神の
 ようなものだ」とか。宇宙人?の視線である。
   ーここで「エゴ・トリップ」という幻想を紹介している。
【「わたしが生きようが死のうが大したことは、といった現実は非常に
 不愉快な現実である。たぶん宇宙から見れば、一匹のゴキブリや一本の松が
生きたり死んだりするのと大して変わりない。この現実から逃れるため人間は
実にさまざまのことをしてきた。われわれの自我は、その酷薄な現実に堪え
られないようだ。それに堪えるために人間は自分の意味を膨らませるために、
自分を誇大視するか、あるいは自分が属する何かを大層なものにするか、
に心をくだいた。・・自分の存在を「なにものでもない。」という実態から、
「なにものか」であるような幻想へと昇格させようという営みの全てを
エゴ・トリップという。 自分を膨張させようとする、あえない試みである。
 これは子供の背伸びから、青年の客気、男女の虚栄や見栄、年寄りのあがき
に至るまで、およそ人間の煩悩や業の全てに浸透している動機のひとつである。 
宗教的な修行や脱俗ですら、それによって自分を特別なものに昇格させたい
という目論見が透けて見える。 】
 ー考えてみれば、われわれの生活の中で何らかの努力をもった営み全てが、
エゴ・トリップと考えると、人生そのものがエゴ・トリップゲームになる。 
しかし、秘境ツアーで大自然の美しさや広大な姿に触れて、感動した経験を
多く持つ身にとって、それはエゴ・トリップとは違う、と思うが、どうだろう。
特別に昇格したいのでなく、対象に自分が溶け込んでしまう経験そのものが
良いからである。すべて夢の中 か〜 そして、すべてがエゴ・トリップで
しかないのか? そう思うと気が楽になるが!

03月19日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る