ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5846,過去は泣きつづけている
「ひと言でいいのです」
吉川直美 編著 より
* 過去は泣きつづけている…
幼児期の心の傷を癒すこと、「過去の自分」を「現在の自分」が
慰めることが、癒しの第一歩となる。それを井上やすしが、安易な言葉で
表現している。特に老いるに従い、気持ちも老化し、幼児の頃の傷口が再び
痛み出す。精神療法は、その手助けとして心理療養士が傷の手当てをする。
【 過去は泣きつづけている…。
たいていの日本人がきちんと振り返ってくれないので。
過去ときちんと向き合うと、未来にかかる夢が見えてくる。
いつまでも過去を軽んじていると、やがて未来から軽んじられる。
過去は訴えつづけている。 〜井上ひさし
――
井上ひさしさんが最期にしたためた言葉です。
きちんと過去と向き合えと言われても、
どうしたら「向き合う」と言えるのでしょう。
個人的なことから過去とのつきあい方を考えてみると、
子ども時代の傷や悲しみ、人を傷つけたという罪の意識を
そのままにしておくと、心の中に住む幼い自分が、
ひとりぼっちで誰の助けも得られずに泣きつづけていると言います。
そして誰も拭いてくれない涙が、密かに怒りや無力感を育ててしまうのです。
泣いている過去に、そっと耳を傾けることから始めてみましょう。
恐れることはありません。過去が求めているのは、私たちをさばくことで
はなく、愛され、適切に扱われ、未来につながることなのですから 】
――
▼ 戦前、戦中、戦後と家族は戦災の最中、転職を重ねてきた。
何故か、生後数ヶ月から記憶が残っている。戦災で焼きだされた直後、
商家の刺激的環境の中で、一家が無我夢中で生きていた。 幼児ながら、
日々が面白くて、楽しくて、変化に満ちて刺激的であった。これをリアルに
描写すれば、直木賞はとれるはず。 猿と、猫と、犬がいて、家族がいて、
住み込みの従業員がいて、そこが、駅前の繁華街の真っ只中。近くに警察が
あって、商店が並んでいて、人波で溢れていた。その中で、幼稚園、小学校、
と進級し、苛めっ子がいて、苛めっ子になり、花見に行き、長岡祭りの山車の
行列があり、近くの公会堂の広間で鯉や、菊の展示会があり、ヤクザが殴り合い
をしていた。過去が泣きつづけているなど、一言で言い表せない世界があった。
「一言でいいのです」というなら、
< 過去は刺激的で、精一杯で、猥雑で、暖かく、嬉しく、悲しく、
単純で、変化に満ちていた。過去は今でも夢を見続けている >
・・・・・・
5481,人生で最も大切な技術 ー31 幸福も苦しみも超えて
2016年03月18日(金)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
* 幸福も苦しみも超えて
悟りの心境とは、これほどのことか。「幸福も苦しみも、それからみたら、
相対的な真理でしかない」とは、道理である。 その一片が、悠然とした
大自然と接し、我を忘れる感動の一瞬を何度か経験してみたが、その心境を、
そのまま表現してある。しかし、これは叡智から出てきた心境とは違う。
〜なかなかの内容である〜
≪ 絶対的真理という観点から見れば、幸福も苦しみも現実に存在しない。
幸福も苦しみも相対的な真理でしかなく、それらは、混乱した心によって
知覚されるに過ぎない。物事の本質を理解している人は、何もかもが純金で
できた島に寄港する船長にたとえられる。船長は、ただの石ころを探そうと
しても、金以外何も存在しないことに気づくのである。チベットの渡り鳥と
呼ばれた隠遁者シャブカルは、悟りと慈悲の心を次のように詠んでいる
―――
リラックスして、自由解放状態でくつろぎ
壮大な空中王国に到達した
そこは無条件絶対の国
すべてを見通せ、静謐そのものの
壮大な空として、そのままにされるとき
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03月18日(土)
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